魚は自分の泳ぐ水を感じない

Rowe書いている(原文は「Fish don't feel the water they swim in.」*1)。これはクルーグマンマネタリスト批判を受けて書かれたもので、クルーグマンマネタリズムをk%ルールとしてのみ捉えているが、それはあまりにも狭い捉え方である、と反論している。フリードマンは確かにk%ルールの戦闘では敗れたが、他の戦闘はすべて勝ち、戦争に勝利したのだ、とRoweは高く評価している。そして、クルーグマンは、フリードマンが勝った結果として確立されたマクロ経済学が事実上マネタリズムと化していることを感じていない(=自分の泳いでいる水を感じていない)ため、そのような批判をしているのだ、1970年頃に冬眠に入ったケインジアン版浦島太郎が今の経済学を見たら、ケインジアン的というよりはマネタリスト的という印象を持つだろう、と述べている。


その具体的な例としてRoweは、標準的なニューケインジアンマクロモデルの三本柱を挙げる。

  1. 予想を取り入れたフィリップス曲線
    • 失業率や産出の自然率における長期的な中立性と短期的な非中立性を仮定しているので、フリードマン的な考えに他ならない。垂直ないしほぼ垂直の長期のフィリップス曲線はかつては論議の的だったが、今や標準となっている。いわば、水の一部と化したわけだ。
       
  2. オイラー式に基づくIS曲線
    • これはフリードマン恒常所得仮説の数式化に他ならない。オールドケインジアンIS曲線と異なり、現在の所得は現在の消費を決定する上での制約とはならず、現在の消費は、無限期間に亘る予算制約下の異時点間の最適化計画の一部分となっている。これも水の一部と化した例。最近のKrugman=Eggertsson論文は、借り入れ制約の導入により消費が現在の所得に依存するようにして、敢えてその標準から離れてみせたわけだ。
       
  3. テイラールール的な金融政策の反応関数
    • 確かにこれはk%ルールではないので、純粋なフリードマンとは言えない。しかし、以下の理由により、やはり本質的にはマネタリスト的である、と言える:
      • 財政ではなく金融政策の反応関数がモデルを締めている。
      • その反応関数がインフレの目標水準を中心として構築されている。これは、「インフレとはいついかなる時も貨幣的現象である」というフリードマンの言葉を体現したものに他ならない。

つまり、3本柱のうち2.5本までがマネタリズムである、とRoweは結論付けている。ニューケインジアンの5/6は実はマネタリスト、というわけだ。


これに対し常連コメンターのAdam Pは、フリードマンだからと言ってすべてがマネタリズムな訳ではない、恒常所得仮説は別にマネタリズムではない、と反論している。従って、オイラー式に基づくIS曲線マネタリズムとは呼べず*2、それだけでもマネタリスト率は5/6から50%にまで下がる、と彼はコメントしている。

*1:魚は自分の泳ぐ水を感じないというのは事実ではないという話もあるが、喩えとして優れているので、敢えて事実確認はしない、とRoweは注記している。

*2:貨幣に無関係なリアルビジネスサイクル理論もオイラー式は使っているし、また、オイラー式は(どう頑張ってもマネタリストとは呼べない)モジリアニの消費関数のライフサイクルモデルの現代版とも考えられる、と彼は指摘している。