4日と5日に紹介したinterfluidityエントリのコメント欄で、デビッド・コランダー(David Colander)*1の「Was Keynes a Keynesian or a Lernerian?」という1984年の短いが興味深い論文が紹介されていた。
以下はその簡単なまとめ。
- 最近、アラン・メルツァー(Allan Meltzer)とドン・パティンキン(Don Patinkin)の間で、ケインズはケインジアンだったのか、という点に関する論争があった。メルツァーが1981年の論文で、テレンス・ハチソン(Terence Hatchison)をソースとしてケインズの「私はケインジアンでは無い」という言葉を引用したのに対し、パティンキンが1983年の論文で、その出所が不確かであることを指摘した。
- アバ・ラーナー(Abba Lerner)によると、1944年*2のFRBでの講義においてケインズは、来るべき戦後の貯蓄過剰について懸念を表明した。それに対しラーナーが、政府はいつでも財政赤字によって十分な支出を実施することができる、と指摘したところ、ケインズは、そんなのはいかさまに過ぎない、と反発した*3。その時ラーナーの隣に座っていたエヴシー・ドーマー (Evsey Domar)は、「彼は一般理論を読むべきだね」とラーナーに耳打ちした。1ヶ月後、ケインズはラーナーへの非難を撤回した。
- このエピソードは、ケインズとラーナーの関係を良く物語っている。いわゆるケインジアン政策は、ラーナーによるケインズ政策の解釈に依るところが大きい。W.S. ウォイチンスキー(W.S. Woytinsky)に言わせれば、ケインズがアラーであり、ラーナーはその戦闘的な預言者であった。
- ラーナーの政策観は単純であり、理論的に筋が通っていれば実務上もうまくいく、というものだった。それに比べると、政治のプロセスに深く通じていたケインズは、はるかに現実主義者だった。