クルーグマンが9/13エントリで水圧式ケインズ経済学と伝統的ケインズ経済学を同一視するような記述をしたのに対し、EconospeakでJim Devineが異議を唱えている。
彼はまず、水圧式ケインズ経済学とニューケインジアン経済学の違いを以下のようにまとめている。
One key fact that Krugman misses is that "hydraulic Keynesianism" had a completely different focus than the "modern" neoclassical version of Keynesianism that largely replaced it. While hydraulic Keynesian focused on flows of money (with the correction for the effects of inflation being only an afterthought), the neoclassical Keynesians try to see the world totally in terms of "real" variables. Maybe money is crucial in the short run, the neoclassical reasoning goes, but in the long run (which is what's really important) money doesn't matter. Money is only a veil that must be removed to understand what's really happening. To "hydraulic" Keynesians such as Godley, the short run can be extremely crucial, sometimes causing economic collapse. The neoclassical Keynesian focus on the long run (as a result predetermined by the "supply side") totally misses that possibility.
(拙訳)
クルーグマンが見逃している一つの重要な事実は、「水圧式ケインズ経済学」は、今やそれにほぼ取って代わったケインズ経済学の「現代的」新古典派版とはまったく異なるところに焦点を当てていた、という点である。水圧式ケインズ経済学は貨幣の流れに焦点を当てたのに対し(その際、インフレの影響による修正は補足的に行われるに過ぎなかった)、新古典派ケインズ経済学は、「実質」変数の観点から世界を全体的に見ようとしている。新古典派の論理によれば、貨幣は短期的には重要かもしれないが、(肝心な)長期においては貨幣は重要ではない。貨幣は、本当に起きていることを理解するために剥ぐべきヴェールに過ぎない、というわけだ。Godleyのような「水圧式」ケインジアンにしてみれば、短期は極めて重要となり得るのであり、経済の崩壊を引き起こすこともある。新古典派ケインジアンは長期に焦点を当てたことにより(結果的に長期は「供給側」によって予め決定されることになる)、その可能性を完全に見落としている。
その上でDevineは、クルーグマンが伝統的ケインズ経済学の凋落の原因になったとして挙げた2つの失敗――フリードマンの恒常所得仮説によって反駁された所得に依存する消費関数と、70年代のスタグフレーションによって反駁された失業率とインフレのトレードオフ関係――は、このように貨幣の流れに力点を置くという水圧式ケインズ経済学の特性とは関係ないところで発生したのだ、と述べている。