24日エントリで紹介したStephen Williamsonのブログエントリに、デロングが表題のエントリを立てていちゃもんをつけている(原題は「Is There a Useful "Neoclassical Macroeconomics"?」)。
24日のエントリでは、Williamsonの主張とデロングの従来からの主張の共通性(=安全資産への超過需要が問題)を指摘した。同様の指摘は、このWilliamsonエントリを紹介したMarginal Revolutionのタイラー・コーエンのエントリのコメント欄でも見られる。SHocking21というコメンター曰く:
Brad Delong has been saying the same thing for quite a long time. The only difference is that he comes to the sensible conclusion that if the market demands more safe, liquid assets from the government, in exchange for those liquid assets, the government should employ the cash flow to increase the supply of valuable public investments. Curious that Tyler would pick up Williamson’s piece while ignoring Delong’s continued advocacy along the same lines…
(拙訳)
ブラッド・デロングはこれと同じことを結構長いこと言ってきている。唯一の違いは、もし市場が安全で流動性の高い資産を政府から欲するならば、政府はそうした流動性資産の発行と交換で得たキャッシュフローを価値ある公共投資の増額に回すべき、という分別ある結論にデロングが到達している点だ。タイラーがWilliamsonのブログエントリを拾い上げる一方で、デロングが続けてきた同様の主張を無視しているのは興味深いことだ…
デロングもコーエンのWilliamson紹介がお気に召さなかったようで、コーエンが「“Neoclassical macroeconomics” is not totally out to lunch, and it is ignored at our peril(「新古典派マクロ経済学」は完全に時代遅れになったわけではなく、それを無視することは危険だ)」と書いたことを槍玉に挙げている。デロングに言わせれば、ここでのWilliamsonの新古典派経済学なるものは、 ヒックス(1937)(もしくはヴィクセル(1898))に、独自の誤謬を付け加えたものに過ぎない、とのことである*1。
デロングの挙げるWilliamsonの「誤謬」は以下の3点。
- Williamsonは、今の貯蓄性商品の実質リターンは低過ぎるのであり、それが高過ぎるがためにケインジアンの言う効率性が達成されていない状況ではない、と書いた。しかし、ケインジアン、正確にはヴィクセリアンが実質リターンが高過ぎると言う時は、貯蓄と投資が一致する完全雇用水準の利子率(=自然利子率)と市場利子率を比較しているのである。従って、安全資産の自然利子率がマイナスで市場利子率がマイナスでない時、ケインジアン(ないしヴィクセリアン)的な効率性は確かに達成されていない。それを否定するのは、ケインズ(およびヒックス、ヴィクセル)の誤った解釈によるものであり、彼らの主張について読者をミスリードするものである。
- Williamsonは、景気回復後に増税するというコミットメントの下で減税を今実施することが効果があると主張する一方で、将来の財政支出を今に前倒しすることには効果が無い、と主張している。しかし、民間貯蓄者が必死で求めている流動的な金融資産を今提供するという点では、両者は同じではないか。
- Williamsonは、(流動性の罠の下での)準備預金と国債の交換というのは民間部門が実施できる活動に含まれてしまうのでFRBは無力、と主張している*2。しかしそうした交換は、様々なデュアレーションやデフォルトのリスクを民間(ひいては投資家)からFRB(ひいては納税者)のバランスシートへ移し替えるものである。両グループのリスク観、リソース、リスクへの反応は異なっている。民間部門がFRBの政策介入を無力化できるということは、実際に無力化するということを意味しない。
デロングは最後を以下のように締めくくっている。
I would say go back to Hicks, Keynes, Fisher, and Wicksell, and think about them carefully: they were smart. A "neoclassical macro" that does not start from them has little chance of getting much of anywhere.
(拙訳)
ヒックス、ケインズ、フィッシャー、そしてヴィクセルに立ち戻って彼らの言ったことを熟考すべし、と私は言いたい。彼らは賢人なのだ。そこから出発しない「新古典派マクロ経済学」とやらには成功の見込みはまず無い。