マクロ経済学はどこまで進んだか/Franco Modigliani

引き続き、7/7エントリで紹介した本の内容まとめ。

Franco Modigliani(1918-2003)

1985年ノーベル賞
モジリアニ=ミラーの定理が有名

【影響を受けた経済学者】

ニューヨークのニュースクールの指導教授ヤコブ・マルシャック。研究スタイル、数理経済学ケインズシュンペーターを教えてくれた。

ケインズおよびケインズの一般理論について】

ケインズの偉大な貢献は、価格の硬直性や貨幣の供給不足のもとで、貨幣の超過需要は生産の減少をもたらし、そこで流動性選好と乗数の両方が必要になってくる、という一連の関連性を見つけ出した点。即ち、貨幣不足は流動性選好理論が教えるように利子率の上昇を招き、利子率の上昇は投資を減少させ、投資の現象は乗数効果により所得の低下をもたらす。きわめて重要な結果を最終的に導き出すために必要なたくさんの基礎的な研究を行ったという点で、私はケインズアインシュタインと同等にみなしている。私は一般理論の第19章の「もし労働組合が貨幣賃金を下げることを本当に受け入れるのなら、完全雇用は達成されることになり、そこでより効果的な金融政策が遂行されることになり、何もわざわざ中央銀行が経済に口をはさむことはない」という記述が大変気に入っている。

ケインズが生きていたら第一回ノーベル賞を受賞していたか?+ノーベル賞関連】

乗数理論をそもそも生んだのはスウェーデン人だからわからない…でもきっとあげただろう。ジョーン・ロビンソン、エドモンド・マランボーが受賞しなかったのは不思議。

ピグー効果

私は消費は本質的に富の関数ではないという考えなので、ピグー効果は問題ではないと考えている。また、1980年の論文では、一度のデフレにより豊かになるのは一時的現象であり、継続的なデフレは実質金利を高めることを人々は見逃さないという点からも、ピグー効果の影響の小ささを証明した。

大恐慌について】

フリードマン=シュワルツ「アメリカにおける貨幣の歴史」(1963)により、FRB大恐慌の際に重要な役割を果たしたという事実を確信した。

【一般理論に関する多くの論争について】

なぜ多くの異なった意見があるかという質問にはうまく答えられそうにない。すべての研究者が私の意見に同調していると思っていたが、ある特別な考えを持った一部の人々を除いて、事実たくさんの人が様々な意見を持っている。
クラワーとレイヨンフーブッドの研究はケインズを理解する上で我々に手助けとなるようなことは何もしていない。

マネタリズムについて】

1968年のフリードマンの論文は「これまで経済学のジャーナルで発表された論文の中で最も影響力のある論文だ」という1995年のトービンの指摘には、「これまで」がその当時を指すなら賛同。同時に、フリードマンフェルプスの重要な功績に関する指摘は適切。またリチャード・リプセイがインフレ率に関してラグを導入したのはある意味で経済学の研究上貴重な第一歩ということを人々は理解すべき。フリードマンは論文の中でラグの係数は1と述べているが、これは我々のシステムが同じ失業率のもとでインフレだけが進行する大変不安定なシステムということを意味する。「穏健なマネタリズムの考えは、もうほとんどマクロ経済学の主流に組み込まれている」というトーマス・メイヤーの1997年の主張については、貨幣の重要性の観点からは賛同。しかし、貨幣が唯一の重要な変数ではない。フリードマンは貨幣に対するコンセプトを変えることによって流通速度は安定的だという考えを確立するのに大きな貢献をしたが、結局流通速度は不安定だった。「k%ルール」はそれほど価値がなく、貨幣に関する論争では私がフリードマンに勝ったことになる。1944年の私の論文は極端なケインズ主義者のアバ・ラーナーとの議論により完成したが、彼は、投資はアニマル・スピリットによって決まり金融政策は無関係である、財政政策の唯一の目的は価格水準の安定を維持することにある、と信じていた。こうした研究者は、生産と貨幣の関係の安定性が想像よりはるかに高いと信じており、マネタリズムから学ぶことが多いとも信じている。

【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】

ルーカスは一般理論は理解しがたいと非難したが、合理的期待の考えの方がケインズより理解しがたい。もし合理的期待というものが本当にあるのなら、賃金の硬直性もないし、ケインズもいらない。ルーカスの貢献は、逆説的だが、非常に偏った非ケインズ的な考えを打ち立てた点にある。そして経済理論を混乱させたりもした。賃金の硬直性は自明の理。硬直的賃金を受け入れている均衡景気循環の考えには賛同するが、ニュークラシカルの学者が、すべての失業の原因は賃金の硬直性なしでも十分に説明されると言うに及んでは、私の考えと完全に異なる。彼らの考えでは米国と欧州の失業率の差を説明できない。
ルーカスが一般理論を読むに値しないと言ったのは、彼自身が精密な論理的なフレームワークを作って議論を進めるためだろう。合理的期待というモデルはルーカスがモデルを完成させる前はほとんど人々の意識に無く、そもそも期待という考えを用いてモデルを組むことなど考えもつかなかった。これはノーベル賞の価値がある。エミール・グルンバーグと私の共同論文も、ルーカスが合理的期待形成の概念を定式化するのに側面から何らかの力になったと思う。ただ、ルーカスのモデルを詳細に研究してみれば、合理的期待の考えの不均一性という大きな問題に突き当たる。合理的期待はルーカスのモデルにのみ存在し、現実には我々は様々な行動を取る。たとえば株式市場の急激な変動についてルーカスは何も説明していないが、それは多くの人々の様々な考えが交差することにより生じる。株式市場は常に正しい行動をとるという時代的な考えに私は反対。合理性はなかなか含蓄のあるパラダイムだが、自分がこうだと考えているパラダイムと現実は明確に区別すべき。ルーカス、サージェント、ウォーレスの政策無効の命題については、市場が市場独自の力で均衡を回復できるので貨幣は大して効果を発揮しないというなら、それが事実かどうかを正確に示してもらう必要がある。

【ニューケインジアンについて】

一般論で言えば、ニューケインジアンの主張は面白い。マンキューは多少厳密性に欠けていたが、多くの仕事をしてきた。実質賃金の硬直性に関するインサイダー・アウトサイダーのモデルは、失業を語るときとても大切なモデル。特にアサー・リンドベックを含む研究者たちの貢献は注目に値する。
名目的な硬直性と実質的な硬直性の区別は重要。名目賃金は、インフレ時には日に10%も上昇することがあるので、上に向かってはむしろ伸縮的。実質賃金が物価スライド制などで非伸縮的になることこそが大きな問題。いったん物価スライド制を導入したら、中央銀行はもはや実質貨幣供給、ひいては経済をコントロールできなくなる。1973年以来イタリアでは名目賃金を前もって固定し、実質賃金は市場で決定させるという方策を取り入れている。物価は事実上市場で決められるので、この方策が採られると中央銀行は物価の上下を気にしなくて良くなり、失業に専念できる。戦後、名目賃金をどんどん上昇させ、インフレと失業、またはその二つを同時に作り出す、といった攻撃的な労組が存在していたので、マクロ経済を安定的な状態に保つためには、労組に名目的な賃金政策を取ることに同意させ、その政策を将来にわたって取りつづけることが必要ということを学んだ。経済学の教科書は将来、物価水準は貨幣水準によって決まるものとは教えなくなり、貨幣水準が物価水準によって決まってくるのだと教えることになるだろう。

【リアル・ビジネス・サイクル仮説について】

私はこれまでこの学派の主張に大きく刺激を受けたと言うことはない。この学派の主張していることは随分前に私自身考え付いていた。貨幣や物価から独立して起こる景気循環というものがあることは理解できるし、この主張に特に目新しい何かがあるとはとても考えられない。

【自然失業率とNAIRU、およびフィリップス曲線について】

1968年のフリードマンの会長講演の論文はパラダイム転換をもたらした重要な論文。この論文は特にインフレについて正しい見方をしている。しかし、デフレについてはどうか。失業発生時にインフレがゼロまで下がるかは疑問。
トービンは、失業の非インフレ率という考え方はおかしい、なぜならインフレそのものはインフレを加速しない、ということを指摘するのに躍起になっていたが、本来インフレの加速は二次的なもので、インフレの発生自体を一次的な問題として取り扱うべき。私はインフレを伴わない失業をNIRU(Non Inflationary Rate of Unemployment)と名づけた。後にNAIRUと呼ばれるようなったが、私の名づけた方が良いと思った。

【経済政策について】

ブンデスバンクはケインズを理解していなかった。貨幣が大幅に不足していて賃金がそれほど伸縮的でないときに完全雇用はありえない。逆に、賃金が本当に伸縮的ならば、金融政策はかえって悪い効果を及ぼしかねない。
金融政策を効果的に使えば賃金も物価も下がるが、ドイツでは賃金が伸縮的かどうかに関係なく貨幣供給を減少させることにより利子率を上げつづけるという、安定化政策ならぬ反安定化政策を取っている。結局、賃金も利子率も上がり続け、ドイツの経済を破滅に追いやっている。
欧州各国が取った七つの政策はいずれも失業の発生原因の説明に不十分だった。失業が技術進歩のせいとか新興諸国との競争のせいという考えは、米国も同じ環境ということを考えればナンセンス。労働契約の硬直性が原因という考えには唯一納得したが、それだけでは説明に不十分。
1950-60年代の新古典派総合全盛期に財政・金融両政策が安定化に果たした役割は高く評価。1966年にFRBの要請に従ってモデルを作成したのもそう思ったため。ただ今では金融政策(裁量的実質貨幣供給)の方が有効ではないかと思うようになった。財政政策はビルト・イン・スタビライザーとして一時的には効果があるものの、長期的な安定化策としては大して効をなさず、投資を減少させるような効果も及ぼす。しかし、私の過去の経験から、金融政策は時として効果的に働かないこともある。ケインズ流動性の罠が代表的なケース。
欧州がユーロへ向かって進んでいくのは、ブンデスバンクのような強力な中央銀行と悪質な金融政策の組み合わせがおそらく失業を増大させるので悲劇的。[→ニューケインジアンの項]

【経済学者間の意見の一致について】

これまで4カ国(米、伊、西、瑞)でモデルを構築したが、ルーカス批評もそれなりに価値がある、すなわち物事は理論の中で展開されるようにそう安定的ではない、と後に考えるようになった。また、どんな素晴らしいモデルでも、時間的ズレ等の問題があるので、現実に何がどうなるかは予測できない、というフリードマンにも賛同するようになった。ただ、私の作ったモデルは分析を推し進める上でとても有効であり、良い結果をもたらしたと今も信じている。