レイヨンフーブットが表題の小論を書いている(原題は「Wicksell, Hayek, Keynes, Friedman: Whom Should We Follow?」*1;Mostly Economics、Hickisanさんツイート経由)。
モンペルラン・ソサイエティーの会長が投げ掛けたというその問い掛けへのレイヨンフーブットの回答は、次の小説の一節に近いものになっている。
・・・自分は辻に立つてゐて、度々帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あつたのである。
帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行かうとは思はなかつた。多くの師には逢つたが、一人の主(しゆ)には逢はなかつたのである。
森鴎外 妄想
以下は各人に対するレイヨンフーブットの評価の簡単なまとめ*2。
- ヴィクセル
- ヴィクセルは、物価が安定化する金利水準=自然利子率の概念を基に、物価が上がれば金利を上げ、物価が下がれば金利を下げれば良い、と説いた。換言すれば、彼はインフレ目標論を唱えたのだが、それは1世紀後、現実が彼の内部貨幣経済理論に限りなく近づいた時に実現した。
- では、ヴィクセルの跡に附いて行くべきか? そう急ぐ勿れ。インフレ目標は米国では失敗したのだ。FRBの政策により物価は安定したが、一方で低金利に長く据え置きすぎたことで資産価格の高騰を招いた。
- フリードマン(というか、彼の後継者)
- フリードマンの後継者たち(新しい古典派)が生み出したDSGEは、現在の経済学の基礎的なツールになっている。ニューケインジアンもそれに合流し、新しい新古典派総合を生み出した。
- 彼らは大恐慌の問題はルーズベルトの政策にあった、と説明している。では、彼らの跡に附いて行くべきか? そう急ぐ勿れ。DSGEは政策の指針を何らもたらさない。
- ハイエク
- ハイエクによれば、金融政策によってある程度の期間は資本蓄積を均衡よりも過熱した状態に置くことができたとしても、最終的には市場の力がその投資ブームに終止符を打ち、その終焉は金融の崩壊を伴う。
- この説明は近年の事象に良く当てはまっている*3。では、ハイエクの跡に附いて行くべきか? そう急ぐ勿れ。オーストリア学派は、市場による安定化効果を至上のものと考え、政府は一切手を出すべきではなく、すべての破壊は「創造的」と考える。システムが不安定化するという可能性は彼らの想像の埒外にある。
- ミンスキー
- ミンスキーによると、資本主義には投機ブームをもたらす「上振れ方向の不安定さ(upward instability)」が内在している。安定した時期が続くと、人々はヘッジから投機へ、投機からポンツィ・スキームへと流れていく。それによって金融システムが脆弱化し、やがてちょっとしたきっかけで崩壊に向かう。
- まさに「大平穏期」が続いた後に今回の金融危機が発生した。しかも、バーナード・マドフの史上最大級のポンツィ・スキームというおまけまで付いた。では、ミンスキーの跡に附いて行くべきか? そう急ぐ勿れ。ミンスキーは規制の効果を信じておらず(どうせ裏を掻かれるから、というのがその理由)、大きな政府を解決策として標榜していた。
- ケインズ
- ケインズは今回の不況に先立つ好景気についてはあまり説明を提供してくれないが、複数の市場の絡み合うシステムの安定性について洞察を提供してくれる。
- 金融市場が貯蓄と投資のバランスに失敗した場合、伸縮的な賃金は完全雇用を保証しない(フリードマンの垂直的なフィリップス曲線は、そうしたバランスを前提にしていた)。
- 自然失業率の安定をもたらす条件が満たされていない場合、伸縮的な賃金は却って危険なものになり得る。急速な賃金デフレが金融市場を不安定化させ、最悪の場合、フィッシャーのデット・デフレーションを招く。
- 有効需要の不足は、通常時には大した問題にならないかもしれないが、金融危機の後には、経済のバランスを回復させる上で致命的な要因となり得る。
- また、家計が揃って負債を減らそうとして貯蓄し、結果として投資が減少するのは、古典的なケインズ理論の描写するところである。
- では、ケインズの跡に附いて行くべきか? そう急ぐ勿れ。ケインズ理論の所得−支出分析ではバランスシートの扱いが泣き所となる。そして、リチャード・クー氏が指摘するように、今回の不況はバランスシート不況である。