引き続き、7/7エントリで紹介した本の内容まとめ。
Edward C. Prescott(1940-)
リアル・ビジネス・サイクル理論を確立
【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】
確かにニュークラシカルの多くの秀でた研究者たちが、貨幣効果がどのように浸透していくのか、その伝播メカニズムを研究してきたが、いまだ十分な成果を上げているとは必ずしもいえない。それほど貨幣的な撹乱を分析することは難しい。
【リアル・ビジネス・サイクル仮説について】
1920-40年代に盛んでその後衰えた景気循環の研究が1970年代にまた活発になったのは、ルーカスが市場経済での産出と雇用の変動の本質を突き止めたことと、経済理論が動学的な統計手法を取り入れた経済研究へ変わったことによる。これらのことを考えると、経済学が分析道具を必要としている学問である、という感を強くした。1970年代は誰もがショックの要因は貨幣だと思っていたが、キドランドとの共同論文「建設にかかる時間と総需要の変動」(1982)で、技術の変化が景気循環を作り出すことを突き止めた。労働供給の異時点間の代替効果の主張を批判する初期の研究は、労働供給が変化するかどうかは労働する数の変化であって労働に何週間従事するかといった長さではないということ、および賃金が経験とともに上昇するという事実を見落としている。この2点を理論の中に組み入れて考えると、労働供給の弾力性の値は高くなる。リアル・ビジネス・サイクル論が総変動の要因を十分説明していないというフリードマン、マンキュー、サマーズの批判は、モデルそのものではなく理論に対してだろう。たとえば全要素生産性が数%でも、好不況をもたらすことは十分考えられる。生産要素以外の変化も大きな影響力を持っているが、私は社会の変化がどんなものか予測できない。技術変化の問題を取り扱うとき、シュンペーターの初期の業績に刺激を受けた。私はどちらかというとリアル・ビジネス・サイクル論を、動学的な応用一般均衡モデルが大きく発展した経済学を考える上での一つの方法論とみなしている。それは革命などではなく、それまでの理論を動学的体系へ拡張した理論的展開に過ぎない。
【成長理論について】
ローマー、ルーカスによって触発された新しい成長論の研究は興味ある。新しい分析手法を身につけた新しい世代が前に出てきたこと、よく整備された資料がたやすく手に入るようになったことが、開発経済学への関心を高める原因となった。
世界中で生産性が上昇するには、ローマーの言うとおり収穫逓増が行き渡り、知識のストックが増大することが大切。しかしとりわけ大切なのは全生産要素の生産性が増大すること。そのためには社会制度の変化が極めて重要で、とりわけ法制度の整備は不可欠。しかし社会制度の問題はあまりにも多く、どの問題にどの答えが適切か全くわからない。
1991年のキドランドとの共同論文で、戦後米国経済の成長の3分の2は技術的ショックがもたらしたと推計したが、技術的ショックと成長との関係を知る方法は2つある。一つは異時点間での労働供給の代替性の大きさを測ること、もう一つは技術的ショックが推計値と同程度の大きさかどうか調べること。
地球上の人々の生活水準は文明の始めより産業革命までほぼ一定で推移していたが、その後徐々に高まっていった。近代の経済成長が始まったとき、人々の生活水準が大きく拡散するようになった。過去50年間に豊かな国と貧しい国の格差はかなり小さくなったが、次の50年間ではもっと大きな収斂があると信じている。ただし、この問題は統計の取り方や見方によって問題の所在が大きくぶれることがある。
【経済政策について】
金融政策と財政政策はもっと一致協力しあったらどうか。公債管理や貨幣供給と政府支出などに関して金融と財政の両政策の間には複雑な相互作用があるので、両者が全く別々に行動すべきかどうか考えもの。
【経済学者間の意見の一致について】
リアル・ビジネス・サイクルのモデルに名目的な硬直性や不完全な債券市場、さらにケインジアンの特別な考え方を組み入れて理論を数量的に展開していこうという方法に賛成。価格の硬直性を伴った独占的競争を導入しようとする考え方は、貨幣的な側面をも含んだ理論を展開しようとすることを意味している。これまでこういった側面は注目されてこなかったので、こうした議論がなされるのは挑戦的で良いこと。
新古典派の基礎は、基本的にはケインズ理論に対抗して構築されてきたが、ケインジアンの理論は、理論を展開するに当たって必ずしも厳格な規律を作り上げてきたわけではない。ケインジアンの理論は数式それ自体を問題にするが、応用一般均衡理論では数式がそれほど問題になることは無い。たくさんの連立方程式を組み立てて議論を展開しても、実証的にはどうなんだ、という問題に突き当たる。理論はこうしたたくさんの方程式を使うことを避けるために打ち立てられるもの。ケインジアンは現実問題に取り組むように仕組まれ、実際に取り組んでもきたが、ルーカスやサージェントによれば、1970年代にケインズのマクロ計量モデルは地滑り的な失敗に帰した。