粘着的価格とマクロ経済学

粘着的価格モデルに関するノアピニオン氏のブルームバーグ論説にStephen Williamsonが噛みつき、それに対しノアピニオン氏が、Williamsonの言っていることは良く分からん、と腐すという一幕があった。
両者の違いは、乱暴に一言でまとめると、以前ここで紹介したボール=マンキューの「粘着的価格マニフェスト(A Sticky-Price Manifesto)」論文をどう評価するか、という点にある。ノアピニオン氏はこの論文を、ルーカス率いるリアルビジネスサイクルに対するニューケインジアンによる小革命の先駆けになったと位置付けている。一方、Williamsonは、この論文はルーカスが批判した通り無内容である、としている。そしてリアルビジネスサイクル対ニューケインジアンという二項対立的な見方を否定し、ニューケインジアンはリアルビジネスサイクルの直系の子孫である、と述べている。それに対してノアピニオン氏は、以前にWilliamsonが書いたことと今回のWilliamsonの見解の矛盾点を指摘している。
この議論にNick Rowe口を挟み、ニューケインジアンの代表的旗手であるマイケル・ウッドフォードのキャッシュレス経済をどう捉えるかで話が変わってくる、と主張した。もしウッドフォードのモデルをバーター経済のものと考えるならば、ニューケインジアンモデルは粘着的価格付きのリアルビジネスサイクルモデルということになる。一方、もしそれが貨幣交換経済のものであるとするならば、ニューケインジアンモデルはリアルビジネスサイクルモデルとは別物で、むしろケインジアンマネタリストの研究の延長にある、ということになる、とRoweは言う。


この議論に関して、David Glasnerが少し違った観点からコメントした。彼によれば、粘着的価格は非効率的なマクロ経済変動の十分条件ではあるものの、必要条件ではない、とのことである。伸縮的価格はマクロ経済の停滞を防ぐ保証とはならない。というのは、マクロ経済の停滞は不均衡価格によって引き起こされ、不均衡価格が一般的になることは価格がいかに伸縮的であっても生じ得るから、とGlasnerは言う。
一般には市場の力によって需給が均衡するように価格が自動調整される、と考えられており、それは経済学の初歩でもある。しかしそれは半面の真実でしかない。そこで暗黙裡に前提されているのは、均衡から外れているのは一つの市場に過ぎず、他の市場はその市場での動きに影響されない、ということである。だが、Glasnerがかねてから主張しているように(cf. ここ)、マクロ経済学がミクロ的基礎付けを必要とするように、ミクロ経済学もマクロ的基礎付けを必要としている。
実際には、ある市場で不均衡が解消すれば、別の市場の不均衡が悪化する、もしくは以前は存在しなかった不均衡が発生する、とGlasnerは指摘する。従って、仮にすべての市場についての均衡価格ベクトルが存在していたとしても、標準的な需給調整の価格メカニズムでそこに到達できる保証はない。不均衡価格での取引が生じないワルラス的な調整過程でさえ均衡価格ベクトルが発見される保証はないため、不均衡価格での取引が生じ得る現実世界では価格メカニズムによる調整力は猶更弱い。
ただし、均衡から外れた経済に安定化傾向が存在しないというわけではない。とは言え、その安定化傾向については理解が進んでおらず、正式な理論は無いに等しいため、そうした過程が存在すると前提しているのが現状。Franklin Fisherは30年前に重要だが十分に評価されていない著書「Foundations of Equilibrium Economics」でその点を指摘した。だが、そうした考えはFisherが初出というわけではなく、ハイエクの古典的な「Economics and Knowledge」論文、およびそれをヒックスが「価値と資本」の中で定式化した一時均衡モデルにまで遡ることができる。
ハイエクの指摘した重要なポイントは、すべての経済主体の将来価格についての予想が同じ場合のみ通時的な均衡が生じる、ということ。予想がばらついている場合には、時間の経過とともに誤りが明らかになった価格予想に基づく各種計画が修正もしくは破棄されることが、価格調整過程によって経済が均衡に戻るためには必要となる。しかし、価格調整過程によって正しい価格予想に収束することを明らかにした理論はない、ということにハイエクは1937年に気付いており、Fisherはそれについて浩瀚な著書で解説した。価格の粘着性という曖昧な話に焦点を当てても、この深刻な理論的問題は解決しない、とGlasnerは言う。そして、ルーカスらは均衡価格ベクトルが合理的に予想されるという前提に満足してしまった――しかも、その合理的予想こそがマクロ経済学を本当の科学にするためのミクロ的基礎付けであると称揚した――ため、上述の話から粘着的価格の問題点を明らかにすることは手に余ったようだ、と皮肉ってエントリを結んでいる。