信念と均衡

ノアピニオン氏が、経済学でDSGEを初めとする均衡を仮定したモデルを使うことの問題点を3つ挙げている

  1. 均衡に収束するのと同等の速度で均衡が動くかもしれない。
  2. 均衡が安定でないかもしれない。
  3. 複数均衡があるかもしれない

その対処法としてノアピニオン氏が提言するのが、気象学のようなコンピュータシミュレーションの手法である。即ち、各種のミクロ的基礎をDSGEモデルとしてまとめあげることなく、そのままエージェントモデルの形でスーパーコンピュータに放り込む、という方法である。


これに対しロジャー・ファーマーが、複数均衡に着目する観点からの手法を提言した(ノアピニオン氏ブログのゲストポスト)。ファーマーの論点は概ね以下の通り。

  • 経済学における不均衡は、物理学における不均衡とは違う。物理学における不均衡とは、例えば坂道を転がるボールの状態を指す。経済学における不均衡は、非ワルラス均衡的な価格で取引がなされることを指す。後者の意味における不均衡は追究する価値は無い*1
  • 一方、均衡は、物理学においては坂道を転がったボールが底に達して停止した状態を指す。経済学では、ナッシュ均衡、ないし、そのプレーヤーが多数になった場合に帰着する完全競争均衡の状態を指す*2。ルーカスが推進した合理的期待革命の偉業は、サミュエルソン新古典派総合ではなく、デブリューの価値理論の7章における一般均衡理論を経済学の礎とするようにした点にある。これにより、経済学における不均衡分析は意味のないものとなった。
  • 均衡理論の受けが良くないのは、以下の2つの理由による:
    1. 競争均衡理論における2つの厚生命題の成立(もしくは大体の成立)を前提にしていること。そうした仮定は大恐慌や大不況においては現実世界から乖離してしまう。
    2. 均衡解が唯一であるモデルが大半を占めること。それらのモデルでは、基礎的条件以外の変数が結果に影響を与える余地を残さない。
  • 複数均衡モデルでは、上記の欠点が取り除かれている。ただ、複数均衡モデルでは、合理的主体という仮定だけでは均衡が決定されない、という問題が残る。そこでファーマーは、信念関数(belief function)を導入して均衡が決定されるようにした。
  • 信念関数とは、観測可能な過去の変数から、意思決定に関連するすべての変数の将来予想へのマッピングである。ファーマーに言わせれば、この関数はモデリングの手法において選好や技術や賦与と同等の地位を与えられて然るべきもの。
  • ファーマーは実際にこの手法を不完全な労働市場の研究に適用し、古典派やニューケインジアンのモデルよりもデータに適合する結果を導出している。また、このモデルでは、導出される失業が必ずしも社会的に最適とは限らないので、大恐慌や大不況における大量失業は問題だ、という現実感覚に沿うものとなっている。

*1:ノアピニオン氏によれば、これは氏が挙げた3つの問題点のうち第一のものを否定することに相当する。

*2:ここでファーマーがナッシュ均衡と完全競争均衡を安易に結び付けたことは数多くのコメンターから批判された。それに対しファーマーは、両者の関係を追究する研究を軽視するつもりはないが、ルーカスの言うように不均衡状態の市場が観察できない(せいぜい一連の取引とその価格を観察できるだけ)という現実を前にすると、そうした方向の研究はDSGEの問題点の解決には役に立たず、一般均衡理論はその点で有用なショートカットになっているのだ、とコメント欄で反論している。