引き続き、7/7エントリで紹介した本の内容まとめ。
【影響を受けた経済学者】
- [ハーバード大学時代(軍隊から復学後)]ワシリー・レオンチェフ、ディック・グッドウィン。
- [博士号取得以降]ポール・サミュエルソン、ジェームズ・トービン。
- [個人的な交際はないが、研究上]ロイド・メツラー
【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】
フリードマンが期待を折り込んだフィリップス曲線についての考えを思いついたのが1966年4月の私との論争に端を発しているというのはおそらくそうだろう。すでにサミュエルソンとの1960年の共同論文には期待という考えについてある程度触れており、賃金や物価の上昇と失業の間に安定した関係があるという考えは、誘発された期待の変化によって一斉に崩れたと主張した。後に期待というものは議論の中心的な考えとなったが、私たちは当時はそうなるとはとても考えられなかった。経済学の議論に期待というものが深く入り込むのはあまり感心したことではない。期待の重要性は否定しないが、期待という考えはこじつけのような気がする。合理的期待は大きな知的刺激を与えたことは紛れもない事実。合理的期待の考えは福袋のようだ。合理的期待は、サイモンの意思決定に関する「限定合理性」(1957)という考え方に多少とも似ていると思う。いずれにせよ、合理的期待はあまりにも不確定要素が多すぎ、これによってこういうことが解明されるんだ、という確固たるものを人々に訴えてはいない。一方で合理的期待は経験的にはそういうこともありそうだし、議論を展開していく上で何かに使えるのではないかという印象がある。しかし、合理的期待にもとづいて労働市場の動向を議論したり、マクロ経済学の一般均衡を展開するのは経験的には不適当と思う。というのは、期待というものはあまりに感覚的であるため、期待形成についての仮説を検証はなされてこなかったし、これからも難しいだろう。
【成長理論について】
アーサー・ルイスとセオドア・シュルツは経済発展論に大きく貢献した。
クルーグマンが言うように*1、経済開発に興味を抱く学者は、データ収集や粗いデータから普遍的なものを導き出す仕事をするタイプだが(クズネッツやシュルツがそういったタイプ)、一方、経済成長は、彼らが不得手とするモデルを構築しそれにもとづいて研究を推し進める仕事(ルイスの1954年の論文はそちらに属する)。
私が成長論に関心を抱いた理由は三つ。1950年代初めに多くの経済学者が低開発国の貧困から経済発展の問題に首を突っ込んでいたこと、サミュエルソンと共同研究をしている時に最適性と線型計画の理論が異時点間の最適性の分析に使えるのではと思ったこと、ハロッド・ドーマーの業績に影響を受けたこと。
1957年の論文後、我々は成長論の分野でマクロ経済学の他分野に比べ多くを学んだ。人々は成長をもたらす要因の多くは技術変化や残差であること、資本蓄積よりも生産性の増大が大切であるということを知った。人的資本の相対的な重要性はまだ確立されていないが、1957年の論文で私は技術変化は人的資本の変化も含むと主張し、それは今振り返っても正しいと思う。今日栄えている工業経済において天然資源が乏しいという事実を良く知るべきだと私は常に言っている。
1970年代に成長の理論が衰退したのは、専門家にアイデアが尽きたためだろう。ローマー(1986)とルーカス(1988)の功績は新しいアイデアを持ち込んで新風を吹き込んだこと。
先進国と発展途上国の収斂問題は、ローマーよりルーカスに刺激を与えたようだ。しかし収斂問題は、因果関係に何ら見るべき解決が図られていないこと、分析結果のほとんどに信頼性がないこと、バロー等の研究に学問的な意義に疑問があることから、これ以上議論すべきか疑問がある。経済格差の問題を分析すると、成長と開発の間には何か違いがあるではないかとすら思える。制度的な基盤の不足が経済格差の解消を阻害しているのではないか。
1973年以降生産性は下がったと思う。その事実については驚いている。
戦後の生産性の動向は1970年までに決まってしまったという説に賛成する。そう言い切る根拠は、1930〜47年に発生した技術変化が大恐慌や戦争により現実の経済に組み込まれるのが遅れ、1950年代初めにすぐ使える技術が20年分蓄えられていた、という私がことあるごとに主張する仮説。ただ、その仮説を検証する方法はありそうにない。
内生的成長論のAKモデルは収穫不変を仮定していたが、それは正しくなかったというのが今や私とローマーの共同見解。AKモデルからは、資本への税を下げて成長率を上げるといった単純な方策が出てきてしまう。
貿易は効率性と生産水準の両方を高め、成長を促進するのに必ず正の効果をもたらすと信じているが、成長の趨勢の傾き、即ち長期的な成長率を左右させ得るかどうかについては未だ確信が持てない。
成長と環境の問題は、極端に言えば、技術と汚染との競争に帰する。この問題の核心は未だ十分に理解されていないが、過度の楽観主義も悲観主義も禁物。
【経済政策について】
安定化政策の遂行についてのルール派と裁量派の議論については、あまり踏み込まないようにしている。これらの議論は全体的に誇張されすぎているのではないか。現実に金融政策を遂行すべきか財政政策を取るべきかの選択はなかなか難しい。費用−便益を十分に考えるべき。自由裁量的な財政政策の効力が無力になった理由は二つ。一つは人々が財政支出の費用を負担することなく公共サービスをより早くより多く受けようとするため。もう一つは中立的な財政政策を見つけ出したり実行させたりすることは難しいということ。ルール派と裁量派の議論は、民主的な政府への不信から起きているが、民主的な政府は、経済環境の進むべき道を決めていくのに、多くの方法の中から取捨選択するのに最良の道だ、と私は信じている。規則ずくめの政策は実施時に大きな困難にぶつかるだろう。誰かが政策を選択しなければならないときに非民主的な方法で選択したら、より日和見主義や既得権が横行するだろう。
欧州の労働市場の問題点は、仏独で長期間はびこっている高失業率に尽きる。制度上の変化がより労働市場を悪化させているというホースト・シーバート(1997)の見解に賛同。労働市場の硬直性が高失業率の原因とは思わない。マーストリヒト条約の基準に適合させていく過程で、総需要側にもとづく大量の失業が発生した。財政政策と金融政策を同時に適合させるのはそう簡単ではない。フランスの高失業率はケインズ的失業ではなく、もしかするとヒステレシス理論で解明できるかもしれない。
CEAの主な役目は、政策当局が政策を実行する前に不適切な政策を葬り去る「知的な清掃人」である、というのが1997年のAEA大会で言いたかったこと。
【経済学者間の意見の一致について】
マクロ経済学には本質的に二つのグループがある。第一は、一定の型にはまったモデルを構築し、そのモデルを用いて彼らが関心を抱いている問題を分析し、答えを引き出そうとしているグループ。第二は、マクロ経済学は複雑な学問で、企業や人々が社会の制度の変化に対応するように自分たちの考えを変えたとき、初めて真の変化が生じると信じているグループ。ケインジアンは後者に、リアル・ビジネス・サイクル論やニュークラシカルは前者に属する。前者は何かを分析するにはまず絶対にモデルを組み立てるべきで、そのモデルを展開することによって何らかの分析結果を導き出すべきと考えている。他方、ケインジアンは、社会に役立ちそうなマクロ経済学のメカニズムを取り出して、現実に即した方策を考えるという態度を取っている。ある一つのモデルにしがみつき、他を顧みないような経済学はたいしたことはない、というのが私の信念。
「マクロ経済学で皆がこれだと思えるような核心はあるのか」というテーマで部会を1997年のAEA大会で開いたが、マクロ経済学のような本質的に複雑極まりない学問を議論するとき、出席者全員の意見の一致をみるなどということはありえない。原理原則を強く主張する理論家がたくさん集まったほうが面白いのであって、皆の意見が一致することがむしろおかしい。
*1:cf. http://web.mit.edu/krugman/www/dishpan.html、この論文はローマーも本書のインタビューで言及している