IS-LMで失われたもの

という10年前の論文*1をDavid Glasnerが先月下旬のエントリで取り上げている。同論文によると、IS-LMはそれ自身ケインズの一般理論の部分的かつ不完全な蒸留物であったが、一般理論とともに、当時のマクロ経済学の有望な分野の芽を摘んでしまったのではないか、とのことである。


Glasnerは、IS-LMによる喪失の指摘として論文から以下の4項目を引いている。

  1. 動学的分析の喪失
    • IS-LMは一期間モデル。
  2. 異時点間の選択と予想の喪失
    • 異時点間の選択と予想の喪失は一期間モデルでは予め排除される。
  3. 政策レジームの喪失
    • 一期間モデルでは政策は一度限りの出来事。経時的に最適な結果をもたらすレジームを構築するという問題は生じない。
  4. 異時点間の協調の失敗の喪失
    • 一期間モデルでは時間的不整合の問題も生じない。


また、ケインズ理論そのものの問題の指摘として、論文から以下の箇所を引用している。

[A]lthough [Keynes] made many remarks that could be (and in some cases were later) turned into dynamic models, the emphasis of the General Theory was nevertheless on unemployment as an equilibrium phenomenon.
Dynamic accounts of how money wages might affect employment were only a little more integrated into Keynes’s formal analysis than they were later into IS-LM. Far more significant for the development in Keynes’s thought is how Keynes himself systematically neglected dynamic factors that had been discussed in previous explanations of unemployment. This was a feature of the General Theory remarked on by Bertil Ohlin (1937, 235-36):

Keynes’s theoretical system . . . is equally “old-fashioned” in the second respect which characterizes recent economic theory – namely, the attempt to break away from an explanation of economic events by means of orthodox equilibrium constructions. No other analysis of trade fluctuations in recent years – with the possible exception of the Mises-Hayek school – follows such conservative lines in this respect. In fact, Keynes is much more of an “equilibrium theorist” than such economists as Cassel and, I think, Marshall.

(拙訳)
動学的モデルに展開する可能性のある(そして後に幾つかは実際に展開した)見解をケインズは数多く残したが、一般理論の力点はやはり均衡現象としての失業に置かれていた。
名目賃金から雇用への影響の動学的説明は、ケインズの正式な分析においても、後のIS-LMに比べて少しだけ余分に展開されたに過ぎなかった。ケインズの考えの展開に関して遥かに重要な点は、従来の失業の説明で論じられてきた動学的要因を、ケインズ自身が意図的に無視したことにある。それはベルティル・オリーン(1937, 235-36)*2が注目した一般理論の特徴であった:

ケインズの理論体系・・・は、近年の経済理論を特徴付ける2番目の点――即ち、昔ながらの均衡分析で経済事象を説明することから脱しようとする試み――において、同様に「古風」である。近年の交易変動分析で――おそらくはミーゼス=ハイエク学派を例外として――その点についてそうした保守的な手法を取るものは他にない。実際のところケインズは、カッセルや(私が思うに)マーシャルといった経済学者よりも遥かに「均衡論者」である。


論文によると、オリーンらが率いるストックホルム学派は明示的な動学的分析を提示したという。

As Bjorn Hansson (1982) has shown, this group developed an explicit method, using the idea of a succession of “unit periods,” in which each period began with agents having plans based on newly formed expectations about the outcome of executing them, and ended with the economy in some new situation that was the outcome of executing them, and ended with the economy in some new situation that was the outcome of market processes set in motion by the incompatibility of those plans, and in which expectations had been reformulated, too, in the light of experience. They applied this method to the construction of a wide variety of what they called “model sequences,” many of which involved downward spirals in economic activity at whose very heart lay rising unemployment. This is not the place to discuss the vexed question of the extent to which some of this work anticipated the Keynesian multiplier process, but it should be noted that, in IS-LM, it is the limit to which such processes move, rather than the time path they follow to get there, that is emphasized.
(拙訳)
Bjorn Hansson (1982)*3が示したように、この学派は「単位期間」の連続という考えを用いて明示的な手法を開発した。その中で経済主体は、各期間の初めにおいて、計画の実行結果について新たに形成された予想に基づいて計画を策定する。そして、各期間の終わりには、それらの計画を実行した結果の新たな状況としての経済、計画同士の矛盾によって生じた市場過程の結果がもたらす新たな状況としての経済が現出する。その時点で経験に照らして予想も再構成される。彼らはこの手法を、様々な種類の彼らのいわゆる「モデルのシークエンス」に適用した。その多くは経済活動の下方スパイラルを伴っていたが、その中心となったのは失業の増加であった。この研究がどの程度ケインズの乗数過程を予見していたか、という厄介な問題についてここで論じるつもりはないが、IS-LMではそうした過程における動きの上限――そこに至る時間的経路ではなく――に力点が置かれていた、ということは注記しておきたい。


このストックホルム学派の手法は、不況の説明において正しい方向性を示している、とGlasnerは言う。というのは、通常時には各人の予想の調整はシステム的な問題に発展しないが、大きなショックがあった時には予想の変化がカスケード的に波及し、システム的な問題や金融危機、そして恐慌に発展する、と考えられるからである。その点において予想はネットワークのようなものである、とGlasnerは言う。


ではなぜストックホルム学派の手法はケインズ経済学に駆逐されたのか? その理由は、ストックホルム学派の手法の出す解が「様々な種類のモデルのシークエンス」という開放端であり、確定的な解ではないことにあった、とGlasnerは言う。ケインズの確定的な均衡解は、まさにその点を突くものであった。結果として、洞察的ではあるが錯綜したストックホルム学派の手法に対し、単純で分かりやすいケインズの考え方が勝利を収める形となった。


この問題は今も続いている、とGlasnerは言う。IS-LMは今やRBCやDSGEモデルに取って代わられたが、ストックホルムの開放端モデル*4は依然としてそれらのモデルに勝てない。現代経済はネットワークを構成しており、ネットワークにはそれを構成するノード単体には還元できない特性があるのだ、という同学派の基本的な考えは、未だ現代マクロ経済学者に浸透するに至っていない。だからこそ、単一の代表的個人から成るマクロ経済モデルなどというものが存在し得るのだ、とGlasnerは皮肉る。たとえ代表的個人の数を増やしたとしても、そこの知的ギャップは埋められていない、とGlasnerは指摘してエントリを締め括っている。

*1:ungate版。原題は「What Was Lost with IS-LM」で、著者はRoger Backhouse(バーミンガム大)とDavid Laidler(西オンタリオ大)。2004年のHistory of Political Economyの補遺論文集の一篇。

*2:cf. これ

*3:

Stockholm School and the Development of Dynamic Method

Stockholm School and the Development of Dynamic Method

*4:素人の私見だが、エージェント・ベース・モデルもこの中に含まれるのかもしれない。