マクロ経済学はどこまで進んだか/Paul M. Romer

引き続き、7/7エントリで紹介した本の内容まとめ。

Paul M. Romer(1955-)

内生的経済成長モデルを開発

マクロ経済学の発展に影響を及ぼした論文・著作】

質問が大きすぎる。

【影響を受けた経済学者】

  • シカゴ大学で4年生の時に経済学を研究し始めた際の助言者]サム・ペルツマン、ドナルド(ディードレ)マックロスキー。
  • シカゴ大学院]ルーカス、ジョージー・シェインクマン。
  • クイーンズ大学院]ラッセル・デビッドソン、ジェームズ・マッキノン。
  • [研究上]ルーカス、プレスコット。二人が編み出した分析手法は、マクロ経済学の中心テーマを考えるのに必要不可欠な存在になった。

大恐慌について】

経済学者たちはこれまで景気循環の議論に時間を費やしすぎたというバローとサラ・イ・マーチンの主張は大筋で正しい。戦争中にマクロ経済学的に考えて大きな不幸を経験した。この時代に育った経済学者は、長期成長は必要だとは考えるが、長期成長を何とか達成できないものか、とは考えようともしなかった。

【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】

ルーカスの大きな貢献は、専門家が物を考える上で必要な方法論を確立したこと。それまで研究者は一般均衡理論を単なる数学のゲームのように見ていたが、ルーカスはそれを研究して実際に使えるようにした。ルーカスが方法論を確立した結果、期待というものに注意が注がれるようになったが、これはまだ考え方の革新のほんの一部。専門家たちは需要曲線と供給曲線だけを使っていては経済全体のことを知り得る道理にない、ということをルーカスの一連の業績により知った。マクロ経済学を深く研究していく上でいわば革命的な変化を作り出したルーカスとソローの二人が、マクロ経済政策上の意見の違いから喧嘩別れのような形になったのは残念。方法論の点で二人の仕事は強い補完性があると言う事実を人々は見落としている。
一般均衡モデルを用いて完全競争の問題、パレート最適性などが分析できるし、経済行動を数理的に分析できるようになった。不完全性の問題(外部効果、税制、名目貨幣、非凸性の問題etc)を追究した場合、ルーカスが1972年の論文で明らかにしたように、動学モデルを使って最適化を求めるという分析手法を用いることになる。

【リアル・ビジネス・サイクル仮説について】

リアル・ビジネス・サイクル論者は、「純粋完全競争と純粋パレート最適性と共にずっと歩くことができる、景気循環もこの方法でモデル化することができる、分析を単純化することによりとても多くのことを学ぶことができる」と言っている。私は、この理論は、本質的なところであまりにも単純化しすぎている、と思う。理論の主要なところが間違っているわけではないが、景気循環を理解するのに必要な多くの要因をあまりにも排除しすぎている。方法論的には、リアル・ビジネス・サイクル論の研究は我々の分析手法を再検討する良い機会になったし、自分たちの分析手法をモデルに組み入れるとき、予想価格がどうなるかを理解する上で大いに助かる。

【成長理論について】

成長問題と安定性の問題の両研究のバランスを取るのがライフワーク。成長か安定かの選択については、成長率を少し改善しただけで人々の日々の生活の質に大きな影響をもたらすことがでいるという事実をしっかり受け止める必要がある。1960-70年代にマクロ経済学者は景気循環に多くの時間を費やし、成長の問題にはほとんど時間をかけなかったが、これは分析手法が未発達だったせいもある。私が成長論の研究を始めたときは、先駆者のそれ以前の論文は読まず、白紙から始めるという方法を取った。成長論と経済発展論が乖離したのは、成長論の研究者は数理的であり、発展論の研究者は言葉を用いるという方法論の問題と、取り組んでいる問題に本質的な違いがあったため。ソローモデルの大きな貢献は、分析道具の発展への寄与と、一般均衡理論の意味および現実世界の分析における役目という点。ソローモデルが資本、労働と並ぶ生産の三要素として技術を明示的に導入したのは重要な考えだが、技術を公共財としたのが他の理論と違う特徴。AKモデルは技術を他の財と同じに取り扱った。今でも技術を完全競争下の純私有財として取り扱うグループがあるが、我々は純私有財よりはソローの言う純公共財に近いものと見なしている。1986年の論文で、成長を考えるには技術を考えねばならないと主張したが、技術について考えたならば収穫逓増=非凸性と言うことが自動的に考えられる。技術が私的に供出されるという考えに立って、論文ではマーシャル的な外部収穫逓増の概念を使った。1986-90年に研究を進めていくと、技術が公共財であるというソローの考えが正しくないのと同様、外部収穫逓増も必ずしも正しくないという考えも生まれてきた。技術を公共財や外部収穫逓増として扱うという単純化からは分析上の利益と共に問題も生じるので、独占的競争を頭に入れて展開するなどさらなる研究が必要。
1957年のソロー論文の貢献は、成長が残差および投入物の増大によってもたらされることを明らかにした点。技術それだけが成長の主要因では無いが、技術は成長の要である。
収斂問題については、1950年代から今日に至るまで全体的に経済格差が収斂したと言う証拠はほとんど無く、収斂する傾向にあると認めている研究者は、ある変数だけを取り出して比較検討している。ソローモデルのもとでは技術を公共財と考え、世界中で既に同一水準にあるとみなすため、遅れた国が進んだ国の技術水準に追いつくという問題は研究の検討対象にならないが、現実にはそうした技術の移転こそが経済格差を解消する一つの方法。単に一人当たりの資本量が増大しても解決しない。つまり、技術の伝播に関する研究はまだまだ不十分。収斂に関する論争は様々なモデルの識別には役立ったが、結果的に肝心な争点はどこかへ行ってしまった。プレスコットは格差の縮小が本当に起きるか彼自身疑問に思うと主張しているが、それが本当にならないよう願う。私は国と国の間の技術の流れが収斂をもたらす大きな力になると思う。技術移転を容易にするシステムの確立が大切。しかし、特許、知的所有権著作権などの非競合財の問題の研究はこれから。貿易は貧しい国に生活水準の向上に不可欠な知識を導入し、先進国には市場の拡大を通じて持続的な成長をもたらす。
環境問題は切実な問題。環境には価格付けができないという問題がある。二酸化炭素問題は排出コストの導入によって改善できるだろうが、環境破壊の問題は懸命に考えねばならない。
各国の生産性低下の原因については分からない。

【経済政策について】

経済成長と民主主義の問題については、両者の関係を理論的に追究した研究を見たことが無い。民主主義や政治について考えはじめると、経済理論のモデルで展開される以外のことについて十分考えることが必要になる。民主主義、政治的安定性、成長という三つの問題の相関関係を追究し、我々の政治システムより経済システムを輸出した方が発展途上国の役に立つと主張したバローの研究には、経済発展と政治形態との間に理論的に一致した考え方が見えない。それは、経済学、政治学のいずれにもこの両方を同時に正しく理解していく、という姿勢がないためだ。
貨幣政策については、出血を止めるのか、それとも体作りをするのか、という表現で言い表せる。貨幣政策は、無制限にお金をばらまけば経済を一層混乱させるが、その効果はとても俊敏で、成長を高めるような機会を作り出す働きをすると同時に、成長以外にも影響を及ぼす。財政政策には、生活保護の費用を支払ったり、働く意欲をそぐような高い所得税率をやめて税率を低くする、といった方策が考えられる。また、ベンチャーキャピタル市場の育成を促すなどの法制度の見直しも大切な政策。特に、人的資本に関する政策こそ、まさに政府が関与していかねばならない重要政策。それは資本市場を流動的なものに変えるよりも大切かもしれない。人的資本への補助は、技術変化を間接的に支援する。ただ、政府の役割は小さければ小さいほど良いというのが私の考え。内生的成長理論は、政府が政策を立案するときに役に立つ理論だと見られがちだが、その見解は的外れ。例えば、社会の基盤施設は大抵の場合その社会にとって伝統的に物的な財産であり、他の物的な財と同じような方法で、市場原理に則り強力な所有権を明確にして供給されるべきで、政府が深く関わるべきではないと考える。また、特別な研究プログラムに補助金を支出すべきだという考えは、役人の恣意性を導入するので、人的資本への補助の方が良い。
インフレは明らかに弊害があり、おそらくインフレと成長の間には非線形的な関係がある。基本的にはインフレと成長の間にはトレードオフの関係は無く、インフレが低いと高い成長が達成されるということは無い。しかし、最適な成長を遂行しようとしたら、やはりインフレは低く抑えておくことが必要。

【経済学と数学】

数学を駆使する社会科学の一分野としては、経済学はまだ若い分野であり、今でも思春期にあると言える。アインシュタイン相対性理論を打ち立てた頃、経済学者はまだ訳の分からない用語を使っていたり、話にならないほど幼稚な図を用いていた程度の水準でしかなかったことは忘れるべきではない。今では経済学者は物理学者が使うような高度な数学を使っており、そうした数学を使うようになってからごく短期間に経済学者の考えも随分変わった。分析道具の開発と分析結果にはトレードオフがあり、前者に力を注ぐと後者が疎かになることから、開発経済学者はソローの分析手法を数学を弄んでいるだけと批判する。しかし理論家から見れば、そのトレードオフは時間的なもので、分析道具の開発が進めば将来政策立案に際してより良きアドバイスができると強調すべき。両者はお互いの専門分野を非難するのではなく、分業の必要性を認識してお互いの貢献する分野で特化し、よりオープンなコミュニケーションを確立すべき。
ミュルダール、カルドア(いろいろな因果関係を重視するあまり一般均衡理論を拒否しがちな経済学者)、シュンペーターを読んでも言葉ばかりで分かりにくい。その問題は一般理論にも当てはまる。(そうした問題に関して)クルーグマン開発経済学についてとてもよい論文を書いた*1。文章だけを読んで理解したと思うのはとても危険なことだし、自分の考えを数学的モデルを使って示そうとすると比較的正しく伝わる気がする。今では経済学者が主張したいことを数学的手法を用いて随分分かりやすく展開することができるようになり、議論しやすくなった。

*1:http://web.mit.edu/krugman/www/dishpan.html、この論文に書かれているクルーグマンの主張についてはソローも本書のインタビューで言及している