Shirakawa(2023)対白川(2002)

IMF白川論文が話題になったが、小生から見ておかしいと思われる点をまとめておく。

  • 日本の2000-2012年の生産年齢人口当たりの成長率がG7の中で最も高いことをゼロ金利制約の無効性の根拠としているが、12年前の拙エントリで示したように、その期間の生産年齢人口当たりの成長率は、リーマン・ショックの影響もあり、期間の取り方によって簡単に国別の大小がひっくり返るので、分析や議論の根拠に使うのは不適切。
  • 同期間の需給ギャップを見ると、内閣府の計算でも日銀の計算でも概ねマイナスであった時期であり、需要が供給に比べて不足していた。その期間に確かに実質GDPは2000年度の485.6兆円から2012年度の517.9兆円に6.7%増加しているが、一方で名目GDPは537.6兆円から499.4兆円に7.1%減少している。即ちGDPデフレータの1割以上の低下が生じていたのであり、需給ギャップのマイナス傾向からデフレが生じていたと考えられる*1。従って、仮に金融and/or財政による需要喚起策でこの期間のデフレギャップを埋めていれば、より高い成長率を実現できていたと考えるのが自然。
  • 白川論文では、金融緩和策が10年以上という長期に及んだのだから需要サイドではなく供給サイドを考えるべきで、その状況では自然利子率の低下に対応した金利低下として緩和策を捉えることはできない、と述べている。これは、例えばここで紹介したサマーズの論考で批判された「金融政策は長期間に亘って生産と雇用に影響を与えることはできない、という仮定」に基づく考えにほかならない。サマーズはその論考で、履歴効果やプラッキングモデルを巡る研究、および自身が展開した長期停滞論を基にそうした考えに疑義を呈しているが、白川論文ではそうした洞察に対して何ら有効な反論を提示していない(白川論文で自説の根拠として提示された2000-2012年の日本の生産年齢人口当たりの成長率は、上述の通り、有効な反論の根拠とは言い難い)。
  • 白川氏自身、2002年の「金融政策論議の争点: 日銀批判とその反論」の討論で、「日本経済が現にゼロ金利制約に直面していることの意味がいまだに正確に理解されていないのではないかと思われる・・・今の日本経済は、通常の金利水準であれば、間違いなく日本銀行政策金利を下げるという状況にある。しかし、現実には、短期金利はすでにゼロ金利であり、そのゼロ金利がどのようなものであるかについてなかなか想像できないでいる」と述べ、2000年代初めに下げるべき政策金利を下げられなかったゼロ金利制約という重石の重要性を指摘している(p.327)。また、同書の第4章の1930年代の日本、米国、スウェーデン金融危機の歴史分析では、「短期金利の低下余地が存在し、これを活用する形で、金融緩和が行われたこと」を当時の回復の要因の第一に挙げ、「これに対し、現在の日本では短期金利の低下余地はない」として、ここでもゼロ金利制約の重要性を強調している(p.229)。それに対し今回の論文では、「Even if we had entered the global financial crisis with a higher inflation target and additional room for interest rate cuts, the global economy would not have taken a materially different course.(拙訳:たとえ世界金融危機に、より高いインフレ目標と、追加的な金利切り下げ余地を以って突入したとしても、世界経済は実質的に違う経路は辿らなかったであろう)」とほぼ正反対のことを述べている。人の考えは変化するものとはいえ、20年前にこれだけ強調していたことをほぼ逆転させてまで上記のサマーズら主流派経済学者のコンセンサスとなりつつある考えに異を唱えるのであれば、紙幅の制限があるとはいえ、IMF季刊誌という一般の人の目にも多く触れる論文の中では、もう少し条理を尽くして説明するべきではないか*2
  • また、同書の討論で白川氏は、「物価を規定する要因として需給ギャップが一番大きいという点は、新保さんの認識と同じである」と述べているが(p.359)、今回の論文では、上記で指摘した通り、生産年齢人口当たりの成長率に重点を置く一方、同じ期間の需給ギャップの概ねマイナスでの推移は等閑視している。
  • さらに同書の第4章では、「『金融が緩和されているという状態』自体は、いったん、何らかの外生的な理由により需要が増加した場合には、増加した需要をサポートすることを通じて、強力な刺激効果を発揮すると考えられる。現在、日銀は消費者物価上昇率が安定的にゼロを上回るまで、2001年3月に採用した金融緩和の枠組みを採用することをコミットしている。ヴィクセルの用語を借りれば、このことは、言わば、自然利子率が上昇しても、しばらくの間は市場利子率が低位に維持されることを意味する訳で、その場合の景気刺激効果は大きいと考えられる」と述べ、「追加的な金融緩和」の有効性は否定しつつも、「金融が緩和されているという状態」の意義を強調している。然るに今回の論文では、そうした金融緩和の状態が欧米の高インフレを招き、日本で資源配分の歪みを長期化させた、とそのマイナス面を強調している。ただ、前者はむしろ2002年の白川氏の言う景気刺激効果の大きさを実証した形であり、問題があるとすれば(ブランシャールの言うように*3)米国の財政出動が過大だったことや、ロシアのウクライナ侵攻という予期せぬ出来事が重なったせいで、金融政策にその責を負わせるのは酷な気がする。後者の日本については、2002年の白川氏の言うヴィクセルの自然利子率の上昇を依然として待っている形で、上述したように、それが長期化したことによる供給面の弊害を強調する今の白川氏の議論よりは、需要不足の長期化による弊害を強調するサマーズらの議論の方が説得的であるように思われる。

*1:人口の減少の影響は供給よりもまず需要に現れる、という言葉をある経済学者から聞いたことがあるが、人口減少の経済への影響という観点からすると、その期間はまさに需要に先に影響が現れた状態にあったと考えられる。

*2:なお、白川氏は今回の論文でも1930年代を取り上げ、1930年代は金融システムの崩壊があったが、2008年には(際どかったが)それは無かった、と述べるとともに、デフレが金融システムの問題から生じるという見方を示している。一方、2002年の分析では、「1930年代の日本については、井上財政期に銀行や企業の整理淘汰が進んでいたことが、高橋財政における諸政策の有効性を高めたとみられるという指摘があることは前述のとおりである。深刻な金融システム問題を抱えていなかったとみられるスウェーデンも比較的速やかな景気回復を果たした。これに対し、現在の日本では不良債権問題はまだ解決していない」と述べ、むしろ1930年代の日本やスウェーデンよりも2002年時点の日本の方が金融システムに問題を抱えている、という見方を示していた。それらを考え合わせると、白川氏の論理を敷衍したとしても、2000年代の日本は、金融システムの問題や人口減少によるデフレギャップと、それを解消する手段としての金利引き下げに課された制約を問題視すべき事例であって、ゼロ金利制約が問題ない事例としてはやはり不適切なように思われる。

*3:cf. ここ