「Secular stagnation is not over」という小論をブランシャールが書き、クルーグマンが賛意を表している。
ブランシャールによると、長期停滞の議論を現代に甦らせたサマーズは、もう長期停滞に戻ることはない、とAEA大会で述べたという。しかしブランシャールは、そのサマーズに敢えて異を唱えている。
ここでブランシャールはr-gに焦点を当てる*1。彼に言わせれば、マクロ経済政策にとってこれ以上に重要な変数はない、とのことである。彼は様々な指標によるr-gを計算し、それが-0.7~-1.3%程度であることを示している。これはコロナ禍やインフレといった要因でプラスに転じることのない深い構造的ファクターである、と彼は言う。
こうしたr-gの低下傾向をもたらした要因は、貯蓄、投資、安全資産の選好の3つである、とブランシャールは指摘する。
このうち貯蓄は、高齢化と所得水準(所得の伸びではなく)上昇という2つの傾向に支えられて増えており、その2つの傾向は今後も継続すると考えられる。
安全資産の選好も、コロナ禍にみられるような不確実性の高まりや、金融機関に一定以上の流動性資産保有を義務付けた規制により、やはりこれからも続くと思われる。
残るは投資だが、これについては不確実性が大きく、温暖化対策や防衛費など今後の投資を増やす要因が多いことを認めつつも、そうした投資もr-gを逆転させるには十分なものとはならないだろう、とブランシャールは言う。
また、サマーズはコロナ対策で政府債務が増えたことをrの上昇要因として挙げたが、先進国の債務GDP比率は2019年の75%から2022年に82%に増えたに過ぎず、rを15-30ベーシスポイント上げるに過ぎない、とブランシャールは指摘している。
ということで、今のインフレと高金利の時期は幕間劇に過ぎず、インフレとの闘いが終わったらまた低金利とマイナスのr-gの時期が来る、とブランシャールは予言する。その時にはまた金融財政政策について考えることになる――それについてのブランシャールの考えは以前のブログエントリにまとめてある――と述べて彼はこの小論を締めくくっている。
当然ながら、こうしたブランシャールの見解は、昨日日本で話題になった令和臨調の緊急提言とは対照的である。同臨調の経済への見解においては、r*という概念や、それとrやgとの大小関係と経済との結びつきについては触れられておらず、長期停滞はあくまでも日本の官民の怠慢という独自要因でもたらされたもの、ということのようである。従来の日本の政策や企業の在り方を否定するにしても、頭ごなしの否定ではなく、もう少しブランシャールらの議論を踏まえた政策論議を日本でも聞きたいような気がするが*2、それは無いものねだりということになるのであろうか。
*1:この点についてはジョン・コクランやAndy Harlessが違和感を感じた旨のツイートをしている。そのうちのHarlessは、長期停滞で問題になるのはrがgに比べて低いことではなくr*に比べて高いことではないか、と指摘した。それに対しブランシャールは、近著を読んでほしいと応じつつ、低いr*にはr*<gという側面と、ゼロ金利下限のために中銀がrを十分に下げられないためにr*<rとなるという2つの側面がある、という見解を示している。
*2:上述のブランシャールの以前のブログエントリでは金融財政政策についての彼の考えが45項目にまとめられているが、その第44項では日本を取り上げ、政府が30年に亘って巨額の財政赤字を計上して債務GDP比率が上昇した一方で、日銀が政策金利を実効下限に留めたことは、意図したものではなかったかもしれないが、条件付きで正しい戦略だったと言える、と評価している。その前後の項では、財政出動が過小だったようにみえる金融危機後の欧州(A case of too little?)と、過大だったようにみえるコロナ禍時の米国(A case of too much?)を取り上げており、それらとの対比で日本は適正だったのでは(A case of just right?)、と述べている。ただ、日本の債務の持続可能性には彼も懸念を示し、需要を引き上げる別の方法を探すことが急務、とも述べている。