マンキューのMMT論

マンキューが昨年12月に「A Skeptic’s Guide to Modern Monetary Theory」という小論を書いている(H/T マンキューブログ)。以下はその概要。

  • 自国通貨を発行している国は債務不履行になることはない、というMMTの主張については、以下の3点で異論がある:
    1. 債務を支払うために政府が発行する貨幣は、最終的には銀行システムの準備預金となる可能性が高い。現行の金融システムでは準備預金に付利を行っているため、政府はそうした準備預金に(FRB経由で)利子を支払う必要があり、結局のところ実質的には借金していることになる。貨幣が永久に準備預金の形に留まるとしても、利子は時間と共に累積していく。MMT支持者はその利子も貨幣の発行によって賄えば良いというかもしれないが、拡張し続けるマネタリーベースはさらなる問題を引き起こす。資産効果によって総需要が増え、最終的にはインフレがもたらされる。
    2. 仮に準備預金に十分な利子が支払われないと、マネタリーベースの拡張は銀行融資とマネーサプライを増やす。拡張したマネーサプライを人々に保有させるためには金利は低下しなければならないが、これも総需要とインフレに上方圧力を加える。
    3. インフレの上昇は実質貨幣需要を減らす。実質貨幣残高が減れば、政府の貨幣創出によって要求できる実物資源も減少する。おそらくはシニョリッジのラッファー曲線というものが存在し、財政的な制約が無いものとして行動する政府は、すぐに自らがそのラッファー曲線の宜しくない側にいることに気付くことになるだろう。そこでは貨幣発行能力の限界価値がほとんど無くなる。
  • 以上の状況に直面した政府は、貨幣能力があっても債務を履行しないことが最善の選択だと決断するかもしれない。即ち、政府の債務不履行は避けられないがために起きるのではなく、ハイパーインフレよりまし、ということで起きる可能性がある。
  • ここではインフレについては主流派の見解を用いている。その最も単純な説明は貨幣数量説だが、MMT支持者は、マネーサプライの増加と一般物価水準の上昇との間に単純な比例関係は無い、と言う。しかし、その主張は主流派見解への反証を過大評価している。1870年以降の米国の10年単位のデータではインフレと貨幣の伸び率の相関は0.79であり、国際的なデータも同様の高い相関を示している。確かに主流派も単純な貨幣数量説を超えた理論を展開しているが、それは貨幣数量説を反駁するためではなく、より精緻化させるためである。
  • MMT支持者は、労働と資本が国民所得の分配を巡って争う時にインフレが制御できなくなる、と言う。その見解によれば、政府による賃金や物価の指針ないし統制といった所得政策が高インフレの解決策となる。一方、主流派のインフレ理論は、そうした階級闘争ではなく、総需要の過大な伸びに重点を置く。MMTにもその考えはあるが、そうした可能性は実際のものというよりは仮説上のものと考えているようである。
  • MMTは、資本主義経済では完全雇用は稀であり、生産能力に余力があるのが常である、と言う。これは、ニューケインジアンの文脈において、経済は「ケインジアンジーム」にあるのが常である、と言うのに近い。ただし、その際に生産や雇用の自然水準と最適水準の区別が重要になる。市場支配力のために全般的な超過供給が常態となっている時には、自然水準が最適水準を下回ることになる。インフレは、生産が雇用を自然水準を超えると、たとえそれらが最適水準を下回っていたとしても、上昇する傾向にある。それは、価格設定者が社会厚生ではなく私的な厚生を最大化しようとするためである。彼らは、限界費用に対する価格のマークアップに関する自らの目標を達成しようとする。
  • MMTとニューケインジアンが袂を分かつのはその点についてである。MMT経済学者は、政策担当者は最適を目指すべきであり、価格設定者が値上げによってそれを邪魔しようとするならば価格指針や価格統制によってその問題に対処すべき、と言う。ニューケインジアンは、市場支配力が存在する世界では民間の価格設定が最善とはならないことを認めつつも、政府が価格設定に関与すると単純な理論では資源配分が改善するが、経済の複雑さや価格統制の歴史に鑑みるとそれは現実的な解決策にはならない、としている。