というブログ記事(原題は「Why Brexit is so much more problematic than the financial crisis of 2008」)をTony Yatesが書いている(H/T クリス・ディロー)。
以下はYatesの挙げる理由。
- 金融危機の際は、展開する事象に対応する能力を備えた首尾一貫した組織としての政府が存在していた。現在は、政府も野党も、離脱か残留かという1つの断面以外のところで分断している。そしてどの派閥の優位に立ってはおらず、テリーザ・メイは概ね無策に留まっている。リスボン条約第50条の期限が近付くにつれて経済的ダメージが膨らめば、実際の政策行動を軸に各派閥がまとまり始めるかもしれないが、そうなるかどうかは現時点ではまったく不明瞭である。
- 危機の際は、問題とその解決策、および、一定程度の真実を伝えることについて、以下のような基本的な合意が存在していた(ただし意見の不一致は存在していたし、反景気循環的な施策がどの程度必要かの情報がきちんと発信されなかった、という問題もあったが)。
- 金融部門の規制が緩すぎた
- 金融システムでリスクが積み上がるのを許容してしまった
- 傷んでいる金融機関を支援もしくは再編するべきである
- 今後は規制を強化し、リスク監視を念入りにし、拡大し、介入的にすべきである
- 反景気循環的な金融財政政策が必要である
- 一方、ブレグジットのプロセスでは、以下の点について真実が十分に発信されなかった。
- 従って、現在の派閥争いによる戦略的一貫性の無さが無かったとしても、このような真実の発信の欠如のせいで、今後前向きに事態を改善するような合理的な決定に到達できないかもしれない。
- 金融危機の際は、やや戯画化して言うならば、以下の認識を皆が基本的に受け入れていた。即ち、当局が金融システムの管理に失敗したにしても、それを修復するのは、当局が委任した専門家に任せるのが最善の策だった。規制強化が提案された時、反対する意見は無かった。
- ブレグジットではそうではない。EU離脱がもたらす費用と便益の経済的・技術的側面よりも、国家と文化のアイデンティティといった他の側面の方が重視されている。しかし後者は、意思決定を行う指導層に任せられる問題ではない。国全体がこの問題を巡って割れているので、ますます動きが取れなくなっている。
- また、金融危機は憲法に関わる問題ではなかったが、ブレグジットの問題は最終的に憲法に関わる話となる可能性がある。金融危機では、問題に関して決定がなされれば処理プロセスも決まった。ブレグジットはそうではない。
- 金融危機の時と異なり、ブレグジットでは、選択肢を大きく制約する他の戦略主体(=EU)が存在する。アイルランドと北アイルランドの国境を開放しておくためには、EUとの関税同盟ならびにそれに付随する各種規制の調整に縛られることになる。それに同意しないのであれば、非常に不利な貿易協定と無秩序な離脱が待っているであろう。
- 金融危機の際の政府の自由度はより高かったが、仮に当時何らかの抵抗し難い外部の圧力によって、ナローバンクか完全に規制されない銀行のどちらかを選ぶことを迫られ、中間の解決策が許されない羽目に陥っていたとしたら、今日と同様ににっちもさっちも行かない状況になっていたであろう。
*2:cf. こちらのブルームバーグ日本語記事でリンクしているキングの論説。