と題したEconospeakエントリ(原題は「Neoliberalism as Structure and Ideology」)でピーター・ドーマンが概ね以下のような考察を行っている。
- かつての政治経済学では、経済構造がすべてである、という左翼の説を幅を利かせ、文化や意識は派生物として軽視されていた。しかしその後、意識とイデオロギーがすべて、という方向への文化的転換があった。
- その考え方によれば、ネオリベラリズムが知識階層、ジャーナリスト、政治家の頭に浸透した結果、規制緩和や民営化、ならびにあらゆることのアウトソーシングやグローバルバリューチェーンがもたらされた。またその見解では、気候変動への無策や大量投獄や高等教育への市場原理の適用といった社会の失敗も、ネオリベラリズムによってもたらされたとされる。
- ネオリベラリズムは、ハプスブルグの崩壊*1と戦後のモンペルラン・ソサエティの招集*2の間のどこかで誕生したとされ、それについては数々の文献も存在する。しかし、過去40年間の結果は思想の潮目の変化が主因、として捉えることが本当に正しいのだろうか? 構造と主体、実証的な経済と人々の経済思想を対立するものとして捉えるのではなく、両者を包含する共進化過程が裏に存在すると考えることはできないだろうか?
- そうした過程を識別するのは歴史家の仕事である。適切な資金を供給された大勢の政治経済学者が取り組むプロジェクトとなるだろう。だが、残念ながら現実にはそうしたプロジェクトは立ち上がっていない。
- 一つの試論として、1980年前後のネオリベラリズムの台頭を考えてみたい。一般には、70年代のケインズ経済学の失敗によって保守派の経済学者の思想が勝利を収めた、と説明されている。これについては、70年代の経済成長は実際にはその後よりも力強いものだった、反ケインズ主義者が経済の推移をより深く理解していたわけでは無かった、数年間で知的革命が完了することはあり得ない、といった批判がなされている。しかしドーマンに言わせれば、この考え方の問題は、経済学者の一団の影響を過大評価したことにある。
- ドーマンの提示する仮説では、1970年代以降の資本所有の構造変化が背景にある。即ち、様々な株式ファンドが機関投資家として確立したことにより個々の資本家が投資を分散できるようになったこと、資本移動に関する規制が撤廃ないし迂回されたこと、新たな情報技術によって高い情報コストなどの金融市場の靄がある程度晴れたこと、などである。これによって、かつては産業別ないし企業別に分断されていた資本家の利害が、より統一されたものとなった。
- 70年代の景気循環に起因しない株式リターンの低迷に苛立った富裕階級は、自身の考えで政府を問題視するようになったというよりも、保守派の学者に頼った結果、市場親和的な政策を信奉するようになった。また学者側も、その関係を通じて研究資金や職や政府の政策への影響を得るようになった。1982年の債務危機後の世界銀行とIMFの改革によってその影響力は世界的なものとなった。
- この仮説は、2008年の危機によって学者がいろいろと再考したにもかかわらず、制度や政策が有意に変化しなかった理由も提供してくれる。根底にある政治経済的要因が変わらなかったためである。従って、ネオリベラリズムの政治的制約という足枷を外すためには、知的作業は必要であるものの十分ではなく、その下部にある力に対抗する必要がある。
*1: Globalists: The End of Empire and the Birth of Neoliberalism
*2: The Road from Mont Pèlerin (English Edition)