ケインズにヴェルサイユ条約を批判する資格は無かった?

今年の10月3日、ドイツが第一次世界大戦の賠償金を完済したというニュースが流れた。2007年にノーベル経済学賞を受賞したゲーム理論家のロジャー・マイヤーソンが、最近ゲストブロガーとなったCheap Talkという共同ブログで、このニュースに関するNYT記事を入り口として、ケインズがこの賠償金に果たした役割について改めて考察している


この賠償金に対するケインズの批判は良く知られている。実際、その舌鋒鋭い批判が、ケインズを当時最も有名な経済学者にしたと言える。彼は1920年の「平和の経済的帰結」と1922年の「条約の改正」で、ドイツの戦前のGDPの3倍にも及ぶ賠償金を課すことの愚かさを説いている。


しかし、賠償金の巨額さを非難したケインズも、賠償期間の長さについては問題にしていない。それもそのはずで、当時前例が無かった長期に亘る賠償金の支払いを立案したのは、他ならぬケインズ自身だった、とのことである。

But what Keynes actually recommended in 1922 was that Germany should be asked to pay in reparations about 3% of its prewar GDP annually for 30 years. The 1929 Young Plan offered Germany similar terms and withdrew Allied occupation forces from the German Rhineland, but the Nazis’ rise to national power began after that.
In his 1938 memoirs, Lloyd George tells us that, during World War 1, Germany also had plans to seize valuable assets and property if they won WW1, “but they had not hit on the idea of levying a tribute for 30 to 40 years on the profits and earnings of the Allied peoples. Mr. Keynes is the sole patentee and promoter of that method of extraction.”
(拙訳)
しかしケインズが1922年に実際に推奨したのは、ドイツは戦前のGDPの3%に相当する額を賠償金として30年に亘って払うべし、ということだった。1929年のヤング案はドイツに同様の条件を提示し、ドイツ領ラインラントから連合国の占領軍を撤兵させたが、その後にナチスが台頭して国家権力を握った。
1938年の回顧録ロイド・ジョージは、第一次世界大戦中にはドイツも勝利した暁に貴重な資産や財産を占有する案を立てていたが、「彼らは連合国の国民の利潤や収益から30から40年に亘って年貢を徴収するなどということは思いつかなかった。ケインズ氏はそうした徴収方法の唯一の考案者であり、推進人であった」と述べている。


ケインズがそのような(マイヤーソンに言わせれば「誤った」)賠償支払い案を思いついたのは、普仏戦争の教訓によるものだという。普仏戦争でドイツは、フランスからGDPの一定割合の賠償金を要求し、北フランスを占領し続けた。ドイツ兵の撤退を早めるために、フランスは期限の3年より繰り上げて賠償金を完済した(その大部分は国債を自国民に販売することにより賄った)。しかし、巨額の資本流入によりドイツの金融システムは不安定化し、ドイツは景気後退に陥った。1914年以前には、勝利国の経済に対する賠償金支払いのそうした逆効果が戦争抑止に役立つ、というナイーブな議論も見られた。それに対しケインズは、1916年に、賠償金の支払いを数十年という長期に亘らせることにより、短期的な巨額の資本流入によってマクロ経済的なショックが発生することを防ぐことを提案した。国自体を占領することなしに数十年に亘って賠償金を徴収するというのは前例が無かったが、第一次世界大戦後に連合国軍はそのケインズの提案を実行に移した。


現在の経済学者は、主権国家が対外債務を返済するインセンティブについて分析し、そうした長期に亘る賠償金支払いは逐次均衡では無いことを示すことができる。しかしそうした分析に用いられるゲーム理論モデルについて、ケインズは知る由も無かった。彼は30年以上もの支払いがもたらす政治的問題を認識していただろうが、それを分析に取り入れる術を持たなかった。その結果、彼の分析からは、GDPの7%は高過ぎると連合国の要求を非難する一方で、GDPの3%は経済的に実行可能であろう、という結論が導き出されたのである。その意味で、ケインズも時代の子であった、とマイヤーソンは指摘している。