昨日紹介したクルーグマンの議論にタイラー・コーエンが反論している。彼はまず、以下の点を指摘している。
- この話は単純なことなのに、クルーグマンはいつもと逆にむしろ話をややこしくしている。ブレグジットは、平均が同じで信頼区間が広がる現象という意味でも、悪いことが起きる可能性の増加という意味でも、不確実性を増大させる。それは総需要と総供給曲線を後退させ、景気後退を招く。
- 最近ブランシャールは資本の流入が拡張的であるという論文を発表したが、今我々が目にしているのはその逆。それに逆資産効果も加味して考えるべき。
- 数日前シティのイベントに出席したが、取引の延期や解消に関するアネクドータルなデータを数多く耳にした。それは新聞で目にすることとも、基本的な経済理論とも整合的である。そうした効果の定量的な大きさはまだ分からないが、株式価値は依然として低い水準にある*1。
その上で、クルーグマンが7/2エントリで挙げた第2点について、以下のように反論している。
- ブレグジットが事実上解消されたならば投資に反動が生じるだろうが、それはブレグジットが良いという話にはならない。
- 英国経済は85%がサービスで、それが現在は他のEU諸国に向けられている。サービスについて遅滞なく新しい自由貿易協定を結ぶのは極めて難しい。ましてや感情が燃え盛って、EU離脱の可能性がある他の国への見せしめにしてやる、という思惑があれば猶更である。
- 金融やビジネスのサービスについては、直接投資の低下と貿易の低下にはあまり差が無い。直接投資が低下して為替が減価し、貿易が増えて穴埋めをする、という図式はここでは成立しない。
また、第3点については以下のように反論している。
- 投資家は例えばベトナムへの直接投資についてTPP待ちの状態にあるのかもしれない。しかしTPPの見通し自体がベトナムへの投資の可能性を下げることはない。というのは、TPPはプラスサムの可能性の話だからである。
- ここで敗者となる可能性があるのは中国だが、ベトナムと中国の相対的な規模を考えれば大きな影響は生じないだろう。とは言えその話は既に論じられている。対照的に、EUは英国の断トツで最大の貿易と直接投資のパートナーであり、今後の貿易の見通しはプラスサムではなくマイナスサムである。
そして、本来クルーグマンが論じるべきだった論点として以下を挙げている。
- EUは極めて優柔不断で、不確実性をあまり解消しない。今回の件も同じ。
- 単純にAD-ASモデルを適用して、その結果を論じるべき。
- 収穫逓増の話。英国のEU向け輸出は多くが金融やビジネスのサービスで、集積や規模の経済が良く働くと考えられる。そこに負のショックがあると、そのショックが後で解消されたとしても、影響は後々まで尾を引く。それはまさにクルーグマンがノーベル賞を受けた研究の話。また、貿易の増加が投資の減少の穴埋めにならない理由でもある(∵投資の減少は将来の高付加価値の貿易の可能性を抑制する)。
- 重力方程式。ポンドが減価したとしても、距離から考えてEUは英国の自然な貿易パートナーであり、他の世界への輸出でその穴を埋めることはできないだろう。
- 乗数効果。ゼロ金利下限で乗数が大きくなるというのがクルーグマンの持説だったはず。キャメロンの声明によれば英国は歳入目標を達成できないとのことなので、さらなる緊縮策を取ることになりそう。それは乗数効果から負のマクロ経済効果をもたらす、というのが本来のクルーグマンが声を大にして主張するべきことでは?
さらにコーエンは、クルーグマンの話とは別に、最近の学界ケインジアンが民間投資の減少――C + I + G + Xが少しずつC + G + Xになっている点――をあまり取り上げない、という傾向を指摘している。ケインズ自身は投資の不安定性を最も気にしていたので、これは奇妙なことだ、とコーエンは言う。しかし最近のケインジアンは、投資を気にすることは資本家に同情し、彼らの手にもっと資源を渡したいと思うことだと考えているようだ、というのが彼の見立てである。ケインズの考えは資本からの再分配ではなく、投資を国有化することであった。しかし投資の国有化は最近は人気が無いので、資本主義と資本家の活力を改めて重要な課題として取り上げるべき、と訴えて彼はエントリを締め括っている*2。