関税と貿易収支

というエントリをクルーグマンが先月27日に上げている(原題は「Tariffs and the Trade Balance (Wonkish) (Updated)」)。


そこでクルーグマンはまず、付加価値税は国内企業にも海外企業にも平等に掛かるので、貿易にも為替にも影響しない、と説明している。
次いで、関税の貿易や為替への影響について以下のように説明している。

The starting point for a simple analysis of trade balances is the accounting identity,
Current account + Capital account = 0
where the current account is the trade balance broadly defined to include services and income from investments. The standard story then runs as follows: the capital account is determined by international differences in savings and investment opportunities, with capital inflows to countries that offer good returns. The real exchange rate then adjusts to ensure that the trade balance offsets these desired capital flows.
In this simple story, a tariff shouldn’t lead to a lower trade deficit, as long as capital still wants to come here; it will just lead to a stronger dollar, making U.S. products less competitive. Imports will still be lower, but so will exports: you end up with the same trade balance, but with less trade.
But this story is a bit too simple, because reduced openness to trade should also inhibit capital flows.
...
Think of it this way: when investors put funds into a country, they do so in the expectation that somebody will eventually extract real goods and services from that country and send them abroad. Put another way, trade deficits are always a temporary phenomenon, to be followed eventually by surpluses, and vice versa.
...
But how does a country make its eventual transition from trade deficit to trade surplus? Other things equal, via a depreciation in its real exchange rate. And this eventual depreciation reduces the return to foreign investors who buy domestic assets.
...
So protectionism should inhibit capital flows. It reduces trade flows; this means that larger real exchange rate movements are necessary to accommodate swings in the capital account; and these exchange rate movements themselves reduce the return to international investment.
...
Now, all of this is a subtler channel than the crude notion that foreigners are taking advantage by selling more to us than they buy, and tariffs will fix that. Dollar appreciation would undermine some of the effects of unilateral tariffs, and definitely hurt exports. But a more protectionist world would in general have lower capital flows as well as less trade; and the U.S., as a recipient of capital inflows, would therefore end up with a lower trade deficit.
(拙訳)
貿易収支の簡単な分析の出発点は、会計の恒等式
  経常収支+資本収支=0
である。ここで経常収支は、サービスや投資収益を含むように広く定義された貿易収支である。標準的な話は次のようになる。資本収支は各国間の貯蓄と投資機会の違いによって決定され、高い収益をもたらす国に資本が流入する。実質為替相場は、そうした投資欲求に基づく資本の流れを貿易収支が確実に相殺するように調整される。
この単純な物語では、関税を掛けても資本が米国への流入を続けるならば、貿易赤字は減少しないはずである。それは単にドルを強くし、米国製品の競争力を落とすだけである。輸入は減少するが、輸出も減少する。貿易収支は変わらないが、貿易自体は減少する。
しかしこの物語はやや単純に過ぎる。というのは、貿易の開放度が減少したならば、資本移動も妨げられるからである。
・・・
次のように考えてほしい。投資家が資金をある国に投資する時、彼らは、誰かが最終的に実物財・サービスをその国から引き出して国外に送ると予想している。別の言い方をすれば、貿易赤字は常に一時的な現象であり、最終的には貿易黒字に転じる。逆も真なり、である。
・・・
だが、ある国の貿易赤字から貿易黒字への最終的な転換はどのように起こるのだろうか? 他の条件が等しければ、実質為替相場の減価を通じてである。そしてこの最終的な減価は、その国の国内資産を購入する海外投資家の収益を減少させる。
・・・
このようにして、保護主義は資本移動も妨げることになる。保護主義は貿易の流れを減少させるが、そのことは、資本収支の変動を吸収するためには、実質為替相場がより大きく動く必要があることを意味している。そしてそうした為替相場の動き自体が、国際的な投資の収益を減少させてしまう。
・・・
ただし、以上のことすべては、外国人は買うよりも多くを我々に売り付けており、関税でそれが是正できる、という粗雑な考え方よりも微妙な経路である。ドルの増価は一方的な関税の効果を幾分削いでしまうであろうし、輸出は間違いなく傷付けられる。しかし、世界がもっと保護主義的になれば、一般に、資本移動は減少し、貿易も減少する。従って資本の流入先である米国では、貿易赤字は減少するだろう。


これにEconospeakのピーター・ドーマンデロングタイラー・コーエンが反応した。


ピーター・ドーマンは、資本収支と貿易収支は定義により表裏一体の関係にあるので、資本収支によって貿易収支が決まるような書き方はおかしい、と批判した。ドーマンによればこれはクルーグマンだけの問題ではなく、主流派経済学全般の問題だという。ただ、実はこうした批判は目新しいものではなく、例えば20年以上前に同様の批判に対し、小宮隆太郎氏が以下のように書いている(週刊東洋経済1993.12.4「核心に触れる批判なし/『小宮理論』は標準的学説」p.57)。

国際貿易関係がないクローズド・エコノミーであれば、貯蓄と投資は等しい。この関係とオープン・エコノミーで貯蓄・投資バランスが経常収支に等しいという関係とは性格が同じだ。
赤羽氏*1はこれは恒等式であって均衡式ではないと言われる。しかし、中央卸売市場にキャベツを農協のトラック等が毎日持ち込み、一方、八百屋さんはそれを仕入れて帰る。入った量と出た量とは、会計的には等しい。克明に記録をとったら、腐って悪くなったので処分した分等を差し引けば、入ってきたキャベツの供給量と出ていった需要量は必ず恒等的に等しい。
しかし経済学では需要と供給は恒等的に等しいとはいわない。価格が変動して、均衡において初めて供給量と需要量が等しくなる、と考える。市場の中で「セリ」をしているから需要量と供給量が等しくなる。それが経済学の常識だ。
国内の貯蓄・投資バランスと経常収支が等しくなるのは、二つの価格と所得の変動が作用している。この二つの価格というのは利子率と為替レートだ。そういう内生変数が変化するから、均衡において貯蓄・投資バランスが経常収支に等しくなる。

小生が見たところでは、ドーマンの批判もこの小宮氏の反論に包摂される域を出ないように思われる。


デロングは、以下の3点を指摘した。

  1. 「我々」は関税から収入を得る。関税には複数の効果があるが、我々の政府がすることについて部分的に「我々」が「彼ら」に幾らか支払わせる、というのがその一つである。
  2. さらに、関税の結果生じるドルの増価は、交易条件を改善する。即ち、輸出を基に購買できる量が増える。
  3. 外国は報復するだろう。

そして、上記の(3)が無く(1)と(2)だけならば最適関税論を支持する強力な論拠になるが、(3)で話が変わる、と述べている。貿易戦争で国内外の輸入競合産業や稀少要素の立場は改善するだろうが、関係者を潤したり実質所得を引き上げたりするに至るとは考えにくい、とデロングは言う。


コーエンは以下の点を指摘している。

  • ドルが世界の準備通貨であることを考えると、「貿易の開放度が減少したならば、資本移動も妨げられる」とは思われない。ただ、貿易が混乱して資本の投資が手控えられる、という、より広義の政治経済的な理由でそうしたことが起きるかもしれない。
  • 貿易赤字は常に一時的な現象」というのは技術的には正しいが、どの程度の時間軸で考えるかが問題。実際には米国の赤字は数十年も続いてきた*3クルーグマンは、2006年に米国のドル危機を予言した人と同じことを言っているようだ*4。異時点間の予算制約のためにいずれ反転する、というのは正しいかもしれないが、そうした見解はドルの価値の予測においてあまり当てにならなかった。そうした見解の当てはまりの良さは国によって違うだろうが、米国については最も当てはまりが悪いと考えられる。また、ダークマターの話もある*5。なお、異時点間の予算制約は(クルーグマンと相性の悪い)ミネソタマクロがよく使うアプローチであるが、つまみ食いはよろしくない。
  • 海外からの投資を制約するのに必要な持続的なドルの減価幅を過大評価している。米ドルの先物や先渡しに含意されている予測変動幅は、「ニュース」に基づく変動幅に比べて極めて小さいのが通例(もちろん、アルゼンチンなどでは話が違うが)。

*1:赤羽隆夫氏のこと。反論の対象となったのは、週刊東洋経済1993.8.28「小宮隆太郎氏への再反論/逆立ちした黒字・貯蓄超過論議」pp.94-98。

*2:クルーグマンのエントリは、そうした考えを表明したコーエンの12/15エントリを「良く見られる混乱(widespread confusion)」として槍玉に挙げていた。

*3:これはドーマンも指摘した点。

*4:ここでコーエンはDon Boudreaux(cf. Wikipedia)を引き合いに出しているが、ざっとぐぐってみるとBoudreauxは貿易赤字を問題視しない立場のようなので、引き合いに出すのは不適切なように思われる。

*5:米商務省の経済分析局のサイトでは、
“Dark matter” is the latest attempt to explain the longstanding surplus in investment income for the “world’s largest net debtor nation.” It suggests that the higher returns on U.S. companies’ overseas investments largely reflect advantages in technology and management that should be included in U.S. exports (thereby lowering the trade deficit) and added to the value of the U.S. direct investment position (thereby lowering the U.S. net debt position).
説明している