中銀の独立性はそれでも必要?

イングランド銀行の独立性獲得20周年記念コンファレンスにサマーズがコメントを寄せ*1、祝辞を述べつつも、中銀が独立的であるべき理由は以前より弱まっている、と指摘した。それに対しTony Yatesが逐一反論している。以下はその概要(主項がサマーズの見解、副項がYatesの反論)。

  • ブレトンウッズ崩壊後の規律の乱れを経て、政治は反インフレの規範を内面化した。そのため、政治との断絶はそれほど重要なものではなくなった。米欧日での中銀批判が、ハト派よりもタカ派側から遥かに多く来ていることは注目に値する。
    • 英国では金融政策の党派ごとの見解のばらつきはより対称的である。リチャード・マーフィーの「人々の量的緩和」という考えを掲げたコービン=マクドネルの党首選キャンペーンや、マクドネルBOEエスタブリッシュメントの手先として敵視していたことを想起すべし。さらに、金融政策は格差を目標とすべきか、という新たな左右の論争も生じている。
    • また、中銀の独立性は、金融政策を浅はかなインフレ政策から遮断するだけの話にとどまらない。同じくらい誤ったタカ派的な政策から保護する、という意味合いもある。そうした保護なしでは、中銀は低金利をこれほど長く続けることや、貨幣を創造する量的緩和という実験を行うことはできなかっただろう。
  • 現在の大半の国にとっての問題はインフレが低過ぎることであり、高過ぎることではない。米欧日はともにこれまで10年近くインフレ目標を達成できないでいる。インデックス債利回りから判断すると、今後10〜20年間インフレ平均は目標をかなり下回るものと予想される。
    • 上の繰り返しになるが、金融政策を政治という狼の前に投げてしまうと、中銀の独立性が弱まったことで物価安定タカ派がより主導権を握り、そうでない場合よりもインフレが低過ぎる状態が長く続いてしまう可能性が高い。
    • サマーズの議論は、馬は眠っていて逃げ出す心配は無いので厩舎の扉は開けておこう、というように読める。中銀の独立性が害を及ぼさないのであれば、インフレという馬が目覚めた場合に再び逃げ出すことを防ぐため、それを保持しておいた方が良い*2
  • 流動性の罠についての現代の最良の考察の多くは、経済が回復した後のインフレを中銀が進んで受け入れるかどうか、という信頼性の問題を強調している。中銀を構造的に遮断してしまうと、この信頼性が損なわれる可能性が高い。
    • これは独立性そのものに反対する議論ではなく、中銀が自らの金融政策目標を設定するのを認めることに反対する議論である。財務省が目標を設定し、中銀が十分なインフレをもたらせなかった場合に説明責任を負うのであれば、問題は無い。
  • 準備預金に金利を払うことが通常化してしまった新たな制度の枠組みでは、非独立的な中銀がマネタイズによって過剰な財政赤字を許すことを余儀なくさせられることがあり得る、という懸念は減じた。現状では貨幣は変動利付国債と事実上同等であるため、かつてよりもマネタイズによる財政の節約の恩恵は小さくなっている。
    • それは事実だが、準備預金に利子を支払わないかつての手法に金融政策が戻らない理由は無い。準備預金への付利を始めた(唯一ではないが)主な理由は、中銀が大規模な資産購入政策を実施している時に、政策金利にゼロを上回る下限を中銀が設けられるようにするためである。しかしその後、幾つかの中銀は、銀行や他の金融仲介機関を破滅させること無く金利をゼロ以下まで実際に下げられることを示した。いずれは政策は正常化し、バランスシートは「通常」まで縮小し、市場に超過準備の保持を促す必要は無くなる。
  • 経済が流動性の罠に陥っている時、もしくは流動性の罠に近付いている時、もしくは今後流動性の罠に陥る可能性がある時、財政と金融の協調の問題はより重要性を増す。財政政策が需要に与える影響を金融政策が中立化できない時は、財政政策と金融政策は間違いなく協調すべきである。
    • それは事実だが、米英いずれにおいても、流動性の罠での財政政策が常に理想的だったわけではなかった。いずれにおいても財政は過度に緊縮的だったと考えられる。
    • 限定的かつ金融政策と協調する形で財政政策をテクノクラートに任せる、という手もある。かつてYatesは、ゼロ金利によって失われた刺激を中銀が定量化して財務省に伝え、財務省がそれに相当する財政刺激策を策定するとともに、予算責任局がその成果や財政の長期的持続性を判定する、という仕組みを提案したことがあった*3
  • 量的緩和は、ある国の債権者が保有する債務の満期構造を短期化することによって、債務管理政策を実施している。量的緩和の影響は基本的に、発行や償還のパターンを変えることによって達成される一国の債務の満期構造の変化と同等である。ある国の債務管理政策が2箇所で別々に設定される意味は乏しい。
    • 確かにそうだが、ここでの協調は、債務管理を(1997年以前の英国のように)中銀に戻すことによっても達成できるし、中銀が資産購入政策を実施している時に満期の構成を体系化された形でコントロールすることによっても達成できる。


ちなみにYatesが反論を提供していないサマーズの論点としては、以下の2点がある。

  • 為替政策は、関係する産業及び国際的利害の数からして、非政治的な組織に完全に任せることが考えにくい分野の一つである。しかしながら、為替政策は金融政策ないしその見通しと完全に絡み合っている。ここでも財務省と中銀の協調は極めて重要なものとなる。
  • 2008年の出来事を経た今、危機の防止や対応は、中銀の独立が世界を席巻した当時よりも優先的な課題となっている。これは、誰がどういった条件で政府の資金の供与を受けて、誰が受けないかを決めることなどからして、本質的に政治的な話である。ここでもやはり財務省と中銀の協調は極めて重要なものとなる。

*1:家庭の事情で出席できなかったとの由。

*2:これについてはコメント欄で、馬が少し運動した方が良いので扉を開けておくのが良いのでは、というのがサマーズの考えだろう、という指摘がなされている。それに対しYatesは、その比喩は気に入った、と褒めた上で、サマーズはおそらくFRBやECBのように目標を低く設定しがちな中銀を念頭に置いているのだろうが、政治家がインフレタカ派になることもあり得る、という前項の論点を繰り返している。

*3:cf. ここ