経済学界が建てるバベルの塔

昨日紹介したブルームバーグ論説でノアピニオン氏は、昨年4/24付けの自身の表題のジャパンタイムズ論説(原題は「Economic profession builds a Tower of Babel」で、元は4/6付けのブルームバーグ論説[そちらのタイトルは「Economics Builds a Tower of Babel」])にリンクしているが、そこでは昨日紹介した論説とは逆に、経済学者が多義性を持たせたために一般人を混乱させ、経済学者に不信感を抱かせる元となっている用語を紹介している*1
以下はノアピニオン氏の挙げた例。

  • 投資
    • 多くの人々は株債などの金融商品の購入を意味すると考えるが、経済学者はそれを金融投資と呼び、投資という言葉では企業の資本財の購入である設備投資を指すことが多い。
    • 前者は基本的に貸し出しの一形態であるのに対し、後者は借り入れを伴うことが多い。同じ言葉で貸し出しと借り入れを指すのは混乱の元となる。
  • エクイティ
    • エクイティは、企業の部分的な所有権としての株式を指すこともあれば、企業価値の尺度である株主資本を指すこともある。
  • 資本
    • 経済学における資本は、銀行預金である金融資本を指すこともあるが、建物や機械などの生産財である資本財を指すことの方が多い。一方、経済学者以外では、金融資本を経済資本と呼ぶ人が多い。
  • 均衡
    • かつては、需給が均衡する形で市場が清算されるように価格調整が行われる状態を指していた。
    • 後にゲーム理論家が、戦略的状況下で皆が他者に対して最適反応を行っている状況を指す「ナッシュ均衡」という概念を持ち出した。
    • それ以外にも様々な概念があるので、均衡という言葉の意味は完全に消失した。今や経済学者が「均衡」と言う時には「どんな方程式であろうが自分が記述した方程式についてのあらゆる解」ということを意味する。
  • 合理性
    • 人々が単純に自らの欲求を追い求める、という意味で使う経済学者もいれば、人々の世界に対する考えが経済モデルと一致する、という合理的期待と呼ばれるモデルの技法を意味する経済学者もいる。また、証拠を受けて自分の考えを更新するベイズ的合理性の意味で使う経済学者もいる。
    • かつて人々が「合理的」かどうかについて2人の経済学者が15分に亘って議論するのを聞いていたことがあったが、それぞれが別の意味で使っていて、結局は同じことを意図していたことが分かった、ということがあった。
  • 効率的
    • 社会的資源をまったく無駄にしないことを意味する場合もあれば、世界の利用可能な情報がすべて市場価格に反映されていることを指す場合もある(後者は通常は金融市場との関連で用いられる。例:効率的市場仮説)。
  • 市場
    • 人々が売買を行う状況を指すこともあれば、人々が実際にはまったく売買しないとしてもそうした売買を可能ならしめる一連の規則を指すこともある。
  • 主体
    • この言葉にはまったく意味がない。これは実際には人間ではない。経済学者は、主体を「消費者」や「労働者」と呼ぶ場合でも、自分たちのモデルの「主体」が必ずしも個人を表してはいないことを懇切丁寧に説明するだろう。
    • 経済学者は、モデルは何を表しているのか、という素人からの質問に煩わされないために、主体という曖昧な言葉を使っているように思われる。

*1:ノアピニオン氏はその点で経済学者を「鏡の国のアリス」のハンプティ・ダンプティ(cf. ハンプティ・ダンプティ - Wikipedia)に例えていて、米国人はアリスほど礼儀正しくないので、この状態が続くと最後には経済学の威信と影響力はハンプティ・ダンプティと同じ運命を辿るのでは、と警告している。