市場マネタリストとカンティロン効果とハイエクの景気循環論

経済に新規に注入された貨幣のもたらす効果は、その貨幣がどこに注入されたかで違ってくるか、という点を巡り、市場マネタリストオーストリア学派の人がやり合っていたようだ。オーストリア学派は違うと言い、市場マネタリストは違わないと言う。結局、効果が違ってくるのは貨幣注入の金融政策ではなく財政政策の側面による、ということで一応決着が付いたらしい。その辺りの話をDavid Glasnerが例によって自ブログで手際よくまとめている(関連するブログエントリのリンクもそちらを参照*1)。


問題の効果はカンティロン効果と呼ばれているが、Glasnerは該当エントリで同効果について詳説している。それによると、そもそもハイエクがこの効果を持ち出したのは、新規貨幣で誰得というみみっちい話の文脈ではなく、消費財と投資財の相対価格の変化とその反転による景気循環という文脈においてだったという。ハイエクの説では、銀行の貸出金利が自然利子率から乖離すると*2、カンティロン効果がもたらされ、相対価格の歪みのせいで資源が誤って消費財産業から資本財産業(もしくはその逆方向)に流れてしまう、との由。


だが、このハイエク景気循環理論には重大な欠陥がある、とGlasnerは言う。というのは、その理論では銀行の定める金利が経済のあらゆる場所における貸借に適用されることを前提とするが、それは非現実的な仮定だからである。
Glasnerはエントリを以下のように結んでいる。

At any rate, if interest rates are determined comprehensively in all the related markets for existing stocks of physical assets, not in flow markets for current borrowing and lending, Hayek’s notion that the banking system can cause significant Cantillon effects via its control over interest rates is hard to credit. There is perhaps some room to alter very short-term rates, but longer-term rates seem impervious to manipulation by the banking system except insofar as inflation expectations respond to the actions of the banking system. But how does one derive a Cantillon Effect from a change in expected inflation? Cantillon Effects may or may not exist, but unless they are systematic, predictable, and unsustainable, they have little relevance to the study of business cycles.
(拙訳)
いずれにせよ、もし金利が、現存する物理資産のストックに関連する市場すべてにおいて包括的に決定されるものであって、現下の貸借のフロー市場で決定されるものではないとするならば、銀行システムが金利のコントロールを通じて有意なカンティロン効果を生じせしめることがある、というハイエクの考えを信じるのは難しい。超短期金利については銀行システムが変更をもたらす余地があるかもしれないが、長期金利には銀行システムによる操作の余地は無さそうである。銀行システムの行動にインフレ期待が反応する場合は別だが、インフレ期待の変化からどうやってカンティロン効果を導出することができよう? カンティロン効果は存在するかもしれず、しないかもしれない。だが、その効果がシステマティックで予測可能で持続可能で無い限り、景気循環の研究にはあまり意味を持たない。

*1:その中のサムナーのエントリの一つは、昨日紹介したように、序でのような形でベックワースの財政政策無効論に触れている。

*2:乖離が生じるのは、自然利子率は観測不可能であり、両者を一致させる市場メカニズムは存在しないため。