金融仲介者としての銀行

24日エントリで紹介したBOE論文をStephen Williamsonが、これがマーク・カーニーの考えを正確に表しているのだとしたら困ったものだ、とトービンの1963年の論文を援用しつつ批判している。以下はその概要。

  • 銀行は貯蓄者の預金を貸し出す仲介者に過ぎない、というのは誤った概念だ、と書いているが、その概念は別に誤っていない。
  • 貨幣乗数アプローチ批判には同意するが、その一方で、「銀行が預けられた預金を貸し出すという通常の教科書に書かれている順番とは逆に、貸し出し行為が預金を作り出すのだ」という一節に代表されるように、論文はまさに貨幣乗数アプローチ(ただし最初の準備預金の注入を抜いた)を用いて論旨を展開している。
    • それよりは、銀行の金融仲介業務に焦点を当てて、預金と貸し出しが預金者と借り手と銀行の行動によって同時に決定される、と説明する方が良い*1。これは基本的に一般均衡問題であり、それを人々に理解してもらう必要がある。貨幣乗数アプローチ的な取引とバランスシートの話は役に立たない。
    • その点を理解してもらえば、中央銀行について、特権を持つ金融仲介サービス、というように説明を進めることができる。
  • 金融政策について、「中央銀行は、通常、望ましい短期金利の水準を実現するために準備預金量を調節したりしない。彼らは価格に重点を置き、金利を設定する」と書いているのも誤り。危機前、BOEはレポ市場への介入という通常の介入操作により外部貨幣量を調整することを通じて金利を目標に近付けていたはずで、翌日物金利を字義通りに「設定」していたわけではないはず。
    • 準備預金が膨れ上がった危機後は、確かに、レポ市場への介入ではなく準備預金への付利が翌日物金利を決定するようになったかもしれないが。
  • QEについて、年金基金から国債を購入するという形で説明しているが、その説明では購入するのが長期債だろうが短期債だろうが違いが無いことになる。しかし、流動性の罠の下での話をしているので、資産購入が短期債の場合と長期債の場合で違うことを説明する必要がある。米国の中央銀行家は、通常、QEが効く理由の説明に、満期によって分離されるマーケットセグメンテーションの話を用いている。
    • 論文では、準備預金を持つ銀行とそうでない非銀行のセグメンテーションを考えており、後者の内部貨幣でのホットポテト効果*2が重要だと考えているようだ。しかし、銀行と非銀行の金融仲介業務に線引きするのは大きな間違いの元になる、というのはトービンの1963年の論文などを読んでいれば分かっていたはずのことであり、仮に分かっていなかったとしても危機の最中に学んだことのはず。

*1:この点についてはサムナーも、預金と貸し出しは同時決定的、というクルーグマンの言葉を引きながら、貸し出しが預金に先行するという論文の考えを批判している

*2:ただしWilliamsonは直接にこの言葉を用いていない。