アセモグル=ロビンソンとCAPM

先月21日にアセモグル=ロビンソンが、「Why Nations Fail」に対するサックスのフォーリン・アフェアーズ誌上での批判に自ブログで反論したが(H/T Mostly Economics)、その内容はノアピニオン氏が“今まで目にした中で最も辛辣なものの一つ(one of the most acerbic I've ever seen)”と評するようなものだった。エントリの冒頭でアセモグル=ロビンソンは、先月初めに反論したスブラマニアンの書評は思慮深いものだったので丁寧に反応したのだが、サックスの書評はそうでないので無視していたものの、外野が五月蝿いので仕方なく反応してやる、といった趣旨のことを書いており、最初から喧嘩腰の姿勢を鮮明にしている。サックスもツイッターで大いに反論していて、そのツイートはこちらにまとめられている。


アセモグル=ロビンソンの反論は12項目に亘っているのだが、その中で最も両者の意見の違いが鮮明になったのは、第6項目の以下の文章かと思われる。

We think, and perhaps Sachs disagrees, a framework that says there are 17 factors, each of them hugely important is no framework at all. The power of a framework comes from its ability to focus on the most important elements at the exclusion of the rest and in so doing in providing a way of thinking about these elements, how they function, how they have come about, and how they change. For us those elements were related to institutions and politics, and we have focused on them.
(拙訳)
サックスは異論を唱えるだろうが、17のファクターが存在し、それぞれが非常に重要だ、というような枠組みは、枠組みとは呼べない、と我々は考えている。枠組みというものが威力を発揮するのは、最も重要なファクターに焦点を当て、それ以外のファクターを排除できることにあるのである。その際、その枠組みは、該当ファクターがどう機能するのか、どのように生じたのか、どのように変化するのか、といった点について考察を巡らす道筋を提供する。我々にとってそのファクターとは制度と政治関連だったのであり、それに焦点を当てた。


それに対しサックスは、シングルファクターモデルはいかん、マルチファクターモデルでなくては駄目だ、とツイートで何度も強調している。


唐突(もしくは単純)かもしれないが、こうしたマルチファクター対シングルファクターの議論で小生が想起したのが、CAPMを巡るフィッシャー・ブラックとその他のファイナンス学者との論争である。ブラックは、ファーマ=フレンチの3ファクターモデルに反論した論文で、彼らのベータ以外のファクターには理論の裏付けが無く、データマイニングの結果に過ぎないのではないか、と批判している。
その点について、「金融工学者フィッシャー・ブラック」では以下のように記述されている。

CAPMは死んだのか―。このモデルの大成功*1に対する当初の興奮が冷めると、CAPMで測定されたベータが株式リターンの断面を示す指標として必ずしも適切ではないことがはっきりしてきた。このため、実証主義を唱えるユージン・ファーマらはCAPMに背を向け、マルチ・ファクター・モデル*2に向かった。また理論派のスティーブン・ロスらは、CAPMに代わるものとして、裁定価格理論(APT)*3を開発した。だがブラックは違った。ブラックの目からみれば、CAPMは現実的な意味で正しい。現実の世界がどう動くのか、CAPMは役に立つヒントを与えてくれたし、これからもそうだろう。とめどなく変化する現実の世界。そこではCAPMは、経済という地図のない大陸の探検者を導く北極星のような存在だった。


アセモグル=ロビンソンの言う「枠組み」は、ここで言う「北極星」に相当するように思われる。

一方のサックスは、アセモグル=ロビンソンのモデルのexplanatoryないしpredictive power/valueの欠如を頻りに槍玉に挙げている。これについては稲葉氏が藁人形叩きではないかと批判されているが*4、上で言うファーマらの実証主義者の立場に立っていると考えれば、彼がそこに固執する理由も納得が行く*5。ちなみに、サックスがファクターの一つとして重視していた地理的条件*6の有意性の否定がアセモグル=ロビンソンの反論のもう一つのポイントだったのだが、その地理的条件についてサックスは、多くの重要なファクターの一つに過ぎず、シングルファクターとは訳が違う、と述べている


ファイナンスにおいては、ブラックの反対にも関わらず、3ファクターモデルはCAPMに代わるデファクトの地位を占めるようになった。開発経済学においても同様のことが起きて、サックスの言うマルチファクターモデルが枠組みとして優勢となるのか、あるいはアセモグル=ロビンソンの主唱する制度・政治関連要因の枠組みとしての重要性が確立されることになるのか、今後の一つの注目点であろう。

*1:cf. ここ

*2:cf. ここ

*3:cf. ここ

*4:ちなみにJorge Galindoという人は藁人形をしつらえなくても叩きどころはある、とサックスに指摘している

*5:その点では、ファイナンスの分野でも大きな業績を残しているシュライファーがアセモグル=ロビンソンに疑義を投げ掛けたというのは示唆的かもしれない。

*6:cf. イースタリーとの論争