ブランコ・ミラノヴィッチによるアセモグル=ロビンソンのピケティ批判への批判

前回エントリで触れたように、ブランコ・ミラノヴィッチがアセモグル=ロビンソンに批判的なエントリを書いていたので、そこで取り上げられていた3つのポイントを紹介してみる。

  1. アセモグル=ロビンソンはピケティが制度を完全に無視したと言うが、米国やフランスやその他の国における格差の変化に関するピケティの説明のかなりの部分が、所得税率や相続税率の上げ下げ、奴隷制の廃止といったまさに制度的な話だったことに鑑みると、この批判は理解に苦しむ。実際のところ、その批判はまったく不誠実なもので、最初にピケティをマルクスと等値した上で、制度を無視した点でマルクスを批判し、ピケティが制度を無視した点についてはせいぜい一つか二つの例しか挙げていない。そしてピケティの「基本法則」を槍玉に挙げているが、「基本法則」(実際には恒等式や動学的均衡条件なのだが)を持っていることは制度を無視していることを意味する、という極めて奇妙な論理を展開しているように見える。

  2. アセモグル=ロビンソンは格差拡大は労働所得の格差の寄与が大きいというが、それは特に米国において真実であり、それに疑問を挟む者は無い。ピケティもその点については異論は唱えておらず、むしろ上位1%の労働所得のシェアの拡大を論じる時などに繰り返し言及している。だが彼は、労働所得と資本所得が一部の人々(しかも大抵の場合同じ人々)に集中した時に格差が大きくなる可能性がある、としている*1。労働所得の集中による格差だからといって、そうした格差が「良性」で「公正」というわけではないのだ。

  3. アセモグル=ロビンソンは、パネル回帰でr-gが(上位1%のシェアとして測られた)格差拡大と相関しているかを調べ、係数が負であるという結果を出した。だが、アセモグル=ロビンソンの最初の回帰は、純リターンがすべての国で等しいと仮定しているため、右辺の変数はr-gではなく単なるgになっている。これは明らかに間違い。ピケティはリターンを税引き後で扱っており、それはもちろん国によって違う。また税引前の利子やリターンが国を問わず同じである、というのも自明ではない。ということで、国ごとのリターン推計値を用いた彼らの2番目の回帰しか有効ではないが、その結論は不定。また、国や年のダミーを除き、通常こういった分析で導入されるコントロール変数がまったく入っていない。労働、税制、政府支出、所得水準といった政策や所得関係の変数を入れたら結論がどう変わるか知りたいところ。また、時間ダミーはまさに、ピケティのグローバル化と税競争によってrが高く維持されている、という話に関連するが、やはり検討されていない。


ミラノヴィッチはさらに以下の点を指摘している。

  • 上位層のシェアに焦点を当てることには限界があり、所得分布全体において多くの重要な変化が起きている、というアセモグル=ロビンソンの指摘には同意。だが、ピケティらが上位層のシェアに焦点を当てたのは、使用した財政データの性質によるところが大きい。
  • アセモグル=ロビンソンの南アとスウェーデンの格差拡大の分析にはどういう意味があるのか良く分からない。正直に言うと、アセモグル=ロビンソンによる政治の変化の描写は大抵の場合表面的なものに留まっているように思われ、回帰付きのWikipediaエントリを読んでいるような気にさせられる。ここでも同様。

*1:cf. ここで紹介したピーター・ドーマンのように、両者の区別を強調する人もいる。