アセモグル=ロビンソンの「直線史観」:サックスの批判

今日は、サックスのアセモグル=ロビンソンへの反論記事から、その記事のメインテーマとなっているAJR線形(直線)モデルへの反論部分をまとめてみる。


13日エントリの最後に記した通り、AJRモデルは以下のスキームで表わされる。

(potential) settler mortality —-> settlements —-> early institutions —-> current institutions —-> current economic performance

即ち、18-19世紀の欧州の植民者たちは、植民が比較的容易で死亡率が低い場合はそこに定着し、包括的な政治制度を作り上げた。一方、植民が困難で死亡率が高い場合は定着を諦め、外部から収奪する方針で臨んだ。そうした初期の政治体制の違いが現在にも尾を引き、今の経済のパフォーマンスの違いにつながっている、というのがモデルの概要である。


それに対するサックスの反論は概ね以下の通り。

  • AJRは、欧州人が疾病を定住の判断の基準にしたこと、および、包括的な制度を持ち込んだこと、を本当に示してはいない。両者の反例は簡単に思いつく。
    • 欧州人は、経済的見返りが良ければ疾病が蔓延する地域でも定着することは良くあった。
      • 例:黄熱病やマラリアの蔓延するカリブ海域や米国南部における、サトウキビや綿の栽培ならびに鉱業
    • 米国南部では奴隷制南アフリカではアパルトヘイトが確立された。原住民への集団暴力や収奪は各植民地で日常茶飯事だった。
      • 制度の発達は植民者の性格だけではなく、その地域の地理的条件や勃興した産業にも依存していた。そうした地理的要因は、今日でも経済発展のパターンに直接――政治制度以外の経路を通じて――影響している。
  • アセモグル=ロビンソンは19世紀における制度の選択が200年近く経った後も持続すると主張しているが、その主張は必ずしも現実にそぐわない。
  • AJRの解釈は、新欧州とも呼ばれる小さなサンプルに依存している。即ち、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドである。しかしこれら四カ国は、政治制度だけではなく、天然資源に大いに恵まれていた。広大な耕作地や牧草地、石炭やその他の貴重な鉱物、国土の大部分が熱帯病を免れていたこと、等々である。AJRはその点を軽視している。
    • 例えば19世紀には必需品だった石炭に関する記述は「Why Nations Fail」には見当たらない。彼らの論文の方ではありふれた資源として扱われているが、そこでは石炭の分布が偏っていることが見落とされている。
  • AJRは香港やシンガポールの躍進を看過している。両地域に定住した欧州人はそれほど多くなかったし、政治制度も民主的ではなかった。両地域の利点は、欧州と東アジアを結ぶ主要航路上に位置していたこと、および、国際クラスの水深の深い港があったことである。
  • アセモグル=ロビンソンの主張する熱帯地域と温帯域の富の逆転は起きていない、という実証結果も最近示されている*1
  • AJRモデルの最後の連鎖は政治制度から経済パフォーマンスへの繋がりであるが、1960年時点の政治制度は1960-2010年の経済成長をあまり説明できない。理由は簡単で、1960-70年代の韓国・台湾や1980年以降の中国のような開発独裁体制の成功があったからである。
  • あるいは、アセモグル=ロビンソンの本当の焦点はイノベーション主導の経済成長にあるのかもしれない。それに話を限定していたならば、(過度の単純化については留保条件を付けつつも)サックス自身はもっと賛意を表していただろう。しかし彼らはあらゆる経済成長を対象として主張を展開しており、そうした成長の中には開発独裁体制によるキャッチアップ型の成長も含まれる。


またサックスは、AJR論文の実証方法についても批判を展開している。それによると、AJR論文では2段階最小二乗法でAJRモデルを検証したという。第一段階では、「収奪リスク」と呼ばれる政治制度を表わすとされる指標を、「入植者死亡率」と呼ばれる19世紀の死亡率の指標に回帰している。第二段階では、1995年の一人当たり国民所得を収奪リスクの操作変数に回帰している(第二段階で所得の決定要因として加えられた他の変数は有意では無かったとの由)。第一段階で19世紀の死亡率と収奪リスクとの正の相関が示され、第二段階では収奪リスクの代理変数と負の相関が示されたので、直線モデルが確立された、というのがAJRの主張とのことである。


これについてサックスは、以下の5点を問題点として挙げている。

  1. AJRの主張に反し、制度以外の変数が一人当たり国民所得の決定要因として重要、という実証結果が出ている。例えばサックス(2003)ではマラリアの問題が制度とは独立に有意だという結果を出しており、ロドリック等(2004)*2やCarstensen and Gundlach(2006)*3もそれを確認している。
  2. 入植者死亡率は除外テストを満たさない。即ち、入植者死亡率は制度だけでなく今日の疾病環境とも相関しており、直接に所得に影響している。また、欧州系の入植者の存在は、欧州と新欧州との間の長期に亘るビジネスや親族や文化の面でのつながりといった、政治体制とは別の経路で今日の所得に影響しているかもしれない*4
  3. ミクロ経済データでマクロ経済データの結果を確認すべし。例えばマラリアについてはBleakley(2010)*5を見よ。
  4. データの質の問題:
    • Albouy(2012)が示しているように、AJRの死亡率のデータには問題がある。それは欧州系入植者の死亡率ではなく、兵隊やカトリック司教やアフリカ系労働者の死亡率が混在している。また、平時の兵士の死亡率や戦時の兵士の死亡率といった様々な死亡原因も混在している。
    • Glaeser等(2004)*6が示しているように、収奪リスクは政策の結果であって、政治体制の指標ではない。AJRのデータでは、ソ連のように少数支配的な体制でも収奪リスクは低かった。Glaeser等がもっと直接的な政治体制の指標を用いたところ、国民所得との相関は弱まった。
  5. AJRの回帰では、一人当たり国民所得を収奪リスクと概ね同時期のものを使っているが(一人当たり国民所得=1995年、収奪リスク=1985-95年平均)、国民所得の長期の決定要因への反応が緩やかであることを見落としている。50年くらいのラグが必要。実際、Glaeser等が1960-2010年の経済成長を分析したところ、1960年時点の政治制度ではなく、1960年時点の就学年数や、温暖域居住人口比率が重要な変数であることが分かった。シュライファー(2012)*7は、緯度や海岸との距離や一人当たり原油備蓄量や1960年時点の就学年数が重要であることを示している。

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*4:このサックスの考察はここで紹介した研究を想起させる。

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*7:cf. ここ