について、イエレンの11/13講演では以下のように述べられている。
The FOMC could have chosen to adopt an "inflation-targeting framework," in which it would have specified an objective solely for inflation, without any explicit reference to employment. Such an approach has been adopted by a large number of central banks since the 1990s. While the FOMC had debated adopting an inflation target on a number of occasions since the mid-1990s, some Committee members believed that stating an explicit target for inflation alone would undermine the maximum-employment side of the dual mandate. In fact, some central banks that have been assigned a single mandate of inflation stabilization have struggled to explain how the goals of growth and financial stability figure into their inflation-targeting framework.
(拙訳)
FOMCは「インフレ目標の枠組み」の採用という道を選ぶこともできました。その枠組みでは、インフレについてだけ目標を具体化し、雇用については明示的に言及しないことになります。その手法は、1990年代以降に数多くの中央銀行により採用されてきました。1990年代半ば以降、FOMCはインフレ目標の採用について何回も議論しましたが、インフレについてだけ明示的な目標を言明するのは、2つの任務のうち雇用の最大化を蔑ろにすることになるのではないか、と考える委員もいました。実際、インフレの安定という単一の任務のみを課せられた中央銀行の中には、経済成長と金融の安定という目標がインフレ目標の枠組みの中に如何に織り込まれているかを説明するのに腐心してきたものもあります。
ちなみに、この文章の最後の文の脚注では、関連文献として
- スヴェンソンの1999年の論文「Inflation Targeting as a Monetary Policy Rule」(WP)
- Jon FaustとDale W. Hendersonの2004年の論文「Is Inflation Targeting Best-Practice Monetary Policy?」
が挙げられているが、その2つの論文のいずれにおいても、スヴェンソンとFaustの2001年の共著論文「Transparency and Credibility: Monetary Policy with Unobservable Goals」(WP)の考察が引用されている。その考察についてFaust=Henderson(2004)では以下のように紹介している。
Faust and Svensson (2001) present an example in which inflation fluctuates narrowly around the optimum value, but due to lack of transparency about the nature of other goals the economy is significantly more volatile than under full transparency.
(拙訳)
ファウスト=スヴェンソン(2001)は、インフレが最適値の周りの狭い範囲で上下するものの、他の目的の性格が透明性を欠いているため、完全な透明性におけるよりも経済が顕著に変動してしまう例を挙げている。
即ち、例えば雇用についても目標として考えていないわけではない、と言わんばかりの中銀の曖昧な態度よりは、雇用についても目標をできるだけクリアにした方が経済の変動が少なくて済む、というわけである。
スヴェンソン(1999)では、この考察から以下の結論を導き出している。
Whereas society almost always prefers more transparency to less, the central bank often prefers less transparency, since it allows the bank to pursue its idiosyncratic goals with less cost to its reputation. An obvious conclusion from this finding is that society, rather than the bank, should decide on the degree of transparency.
(拙訳)
社会はほぼ常に透明性が高い方を好むが、中央銀行は透明性が低い方をしばしば好む。というのは、透明性が低いと、中銀は自らの評判をあまり傷付けることなしに独自の目標を追求できるからである。この考察から得られる明白な結論は、中銀ではなく社会が透明性の程度を定めるべき、ということである。
まあ、日本においては社会が中銀に負けず劣らず低い透明性を求めているうわなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp