因果関係を示す理論に予測力は必要無い?

引き続きサックスのアセモグル=ロビンソンへの反論記事から、理論の予測力と実地への応用性について論じた部分を引用してみる。

Third, Acemoglu and Robinson simply shrug off the inability of their theory to predict economic growth. To my point that standing in 1980 their theory would not have helped to predict growth from 1980 to 2010, they write that “we much rather leave the predictive game to Sachs.” This is a remarkable reply, since it is a central tenet of science that causal theories should demonstrate their predictive power. Their theory’s lack of predictive power should concern them far more than it does, especially since other variables do have predictive power.

Fourth, they dismiss my call for a differential diagnosis of why an economy has failed. “Well, we are not doctors,” they reply. Yet a major purpose of development economics is to use economic evidence to help countries achieve economic progress and overcome economic failures. Reading Why Nations Fail, one is led to believe that the essential prescription is either: (1) to reform political institutions to make them inclusive; or (2) to do nothing, since political institutions are deeply rooted in the past. The second of these is clearly not right, and the first is not adequate. A deeper framework also draws our attention to public investments in education, disease control, infrastructure, and other opportunities to promote growth.


(拙訳)
第三にアセモグル=ロビンソンは、彼らの理論が経済成長を予測できないことをあっさりと無視している。1980年時点に立った場合、彼らの理論は1980年から2010年に掛けての成長予測に役立たなかった、という私の指摘に対し、彼らは「予測ゲームはサックスに任せておこう」と書いている。これは驚くべき回答である。というのは、因果関係を示す理論は予測力を示さねばならない、というのは科学の中心的な教義だからである。自分たちの理論が予測力を欠いていることを彼らはもっと懸念すべきである。他の変数が予測力を持っていることに鑑みると猶更のことである。


第四に、経済の失敗に関する鑑別診断を求める私の呼びかけを彼らは拒絶している。「まあ、我々は医者ではないので」というのが彼らの回答である。しかし開発経済学の主要な目的は、経済学の実証結果を用いて、各国が経済面で進歩を遂げ失敗を克服するのを手助けすることにある。「Why Nations Fail」を読むと、基本的に処方箋は下記のいずれかであるという思いに囚われてしまう:

  1. 政治制度を改革して包括的なものとする
  2. 政治制度は過去に深く根差しているので、何もしない

後者は明らかに正しくなく、前者は適切でない。もっときちんとした枠組みを用いれば、教育や疾病コントロールやインフラやその他の成長促進機会への公共投資にも注目すべきであることが分かる。


これはアセモグル=ロビンソンの直線モデルへの反論を加えた後に、それ以外の細かな記述に反論した節の一部(第三項と第四項)である。ちなみに第一項は、独裁者も徹底した経済改革を行うことがあるとサックスが指摘したのに対し、独裁者に敬意を表している、と揶揄されたことへの反論であり、独裁者ではなく歴史に敬意を表しているのだ、と反駁している。第二項は、データを渡したのに回帰分析をきちんと行っていない、と皮肉られたことへの反論で、2003年に論文を出しており、それは他の研究者による確認もなされている、と述べている。


また、上記の引用部の後には、ボリビアでサックスが果たした役割に関するアセモグル=ロビンソンの当てこすりにも反論している。一つは、反対派への抑圧を伴うIMF型の改革政策に与した、と書かれたことへの反論であり、自分はIMF型の改革政策に強く反対して債務免除交渉に協力したし、当時のボリビアは民主主義的だった、と述べている。もう一つは、サックスの推進した改革が鉱山労働者の全面解雇につながった、と書かれたことへの反論で、自分が提唱したハイパーインフレ終結策と鉱山閉鎖は無関係で、鉱山閉鎖はその後に起きた世界的なスズ価格下落によるものだ、と述べている。