フィフス・エレメント

貨幣の三大機能と言えば、Wikipediaにあるように、価値尺度(unit of account)、流通手段(medium of exchange)、価値貯蔵(store of value)の3つである。そのほか、繰延支払の標準(standard of deferred payment)を第四の機能としてカウントすることもかつてはあったようだ


しかし、最近の本ブログでのやり取り等を通じて、実は貨幣には第五の機能があると多くの人が信じるようになっているのではないか、と思うようになった。その第五の機能とは「実体経済の健全性の尺度」である。


一般に流動性の罠とは、金利をゼロまで下げても人々が(貨幣を含む)金融資産志向を続け、実体経済に資金が回らない、という状況を指す。その金融資産志向の原因については、ケインズの言うような債券価格の下落を恐れた貨幣への逃避(流動性選好)や、小野理論の言うような金持ち願望、デロングやカバレロやWilliamsonの言うような安全資産への逃避、Roweの言うような交換の媒介への超過需要など、今のところ諸説が入り乱れている。問題の解決策も各人各様で、ケインズや小野理論やデロングは公共投資(ただし小野理論ではその中身を重視)、カバレロWilliamsonは安全資産の増加、市場マネタリストは名目GDP目標金融政策を提唱している。ただ、安全資産の増加は政府支出増による国債発行増加と表裏一体であることや、デロングのような政府支出派も名目GDP目標に必ずしも否定的でないこと、Roweの市場マネタリストの同志であるベックワースが安全資産不足論交換の媒介への需要超過論の両方に目配りしていること、ケインズのゲゼルへの評価などを考えると、それらの様々な解決策は必ずしもお互いに相容れないものではなく、同一人物の中で混在していることも間々ある。名目GDP目標が嫌いなWilliamsonでさえ、準備預金へのマイナス金利というリフレ派的な解決策を提示したりしている
それらの解決策の多くに共通しているのは、貨幣(ないしその延長線上の安全資産)において、三つの機能(とりわけ流通手段もしくは価値貯蔵の機能)からプレミアムが生じているため、そのプレミアムを減じて実体経済に比べた貨幣の相対的な魅力度を下げよう、という点である。


これに対し、貨幣の第五の機能の信奉者は、そうした財政や金融政策による解決を否定する。彼らにとって流動性の罠におけるゼロ金利とは、実体経済に黄信号が灯ったことを示す警報である。従って貨幣の魅力を実体経済に比べて相対的に下げることは問題の原因にメスを入れたことにならず、却って根本的な解決を遅らせてしまう、と彼らは言う。そうした政策を追求すると、貨幣の他の機能の突然死を招き、ハイパーインフレが起きる、と彼らは指摘する。政府支出による景気下支えも問題解決の手助けにはならず、あくまでも構造改革によって実体経済の健全化を図るべき、というのが彼らの主張である。


確かに昔から物価や金利は経済の体温計と言われてきたが、同時にそうした経済変数は体温計のみならず政策手段や政策目標の役割も果たし得ると一般には考えられている。それに対し、第五の機能の信奉者は、貨幣の政策ツールとしての役割を否定しており*1、その点では貨幣ヴェール観に立脚しているとも言える。そうした考え方の現在の政策論争における重要性を考えると、今や貨幣と実体経済との関係を「体温計」といった漠とした比喩的な表現で済ますのではなく、貨幣の第五の機能として正式に論じるべき時期が来たのではないか、という気もする。

*1:[12/1追記]はてぶでそういう人が本当にいるのかと訝るコメントを頂いたが、例えばこちらのエントリでは、“当ブログでは・・・「非伝統的な」アクションだけでなく、そもそも金融政策など、いずれ失われざるを得ないので、さっさとやめてしまえという立場をとる”と書かれている。それは極論にしても、ここで言う「政策ツールとしての役割」を、山谷を均すような単なる調整機能ではなく、実体経済が自律的には到達できない方向に到達させる機能、と狭義に捉えるならば、11/28エントリに頂いたコメントもその否定論者に含まれることになる。[12/2再追記]ただ、上述の通り、そうした論者は、貨幣を政策ツールとして用いた場合の実体経済への(意図せぬ)負の効果は存在する、とは考えているようである。