魔法の黄色い靴

以前紹介したStephen Williamsonのエントリのコメント欄で、Williamsonが以下のようなことを書いていた

I think what is true is that, if the central bank is behaving appropriately, we should hardly notice it is there. I think it is also true that the ability of a central bank to bringing about improvements in economic welfare, working through real activity, is extremely limited. However, a central bank is also capable of inflicting significant damage if it behaves badly.
(拙訳)
本当のところ、もし中央銀行が適切に振舞っているならば、我々はその存在を気付きもしないだろう。中央銀行実体経済活動に働きかけて厚生を向上させる能力が極めて限られているのもまた本当のところだろう。しかしながら、中央銀行は、誤った行動を通じて経済に多大な損害を及ぼす力をも有している。


デロングはこのコメントを取り上げて意味不明と囃したが、個人的にはWilliamsonは結構鋭い点を突いているのではないか、と思った。


金融政策は成長力強化のための魔法の杖ではない、とか、インフレ目標は魔法の杖ではない、というのは日銀関係者が良く口にするところであるが(例:ここここ)、これは上記のWilliamsonがコメントの前半部で主張したことに相当する。だが、それと同時にコメントの後半部でWilliamsonが主張しているのは、中央銀行は言うなれば成長を毀損させる魔法の杖を持っている、ということである。つまり、中央銀行は確かに魔法の杖を持っているのだが、その魔法の力には非対称性があり、残念ながら悪い方向にしか働かない、というのがWilliamsonの指摘である。別の喩えをすれば、中央銀行は、ハウルの動く城荒地の魔女のように呪いをかける力は持っているものの、それを解く方法は知らない、ということになる。


そう考えると、中央銀行インフレ目標や名目GDP目標などのルールベースの金融政策を求めるのは、別に魔法の杖を振るってもらうためではなく、むしろその魔法の杖を下手に振り回して――バブル末期の金利引き上げや2000年のゼロ金利解除や2006年の量的緩和解除のように(!?)――周りに迷惑を掛けるのを抑えるため、という解釈ができるかもしれない。中央銀行が妙なタイミングで魔法の杖を振り回す心配をしなくて済むようになれば、皆も安心して経済成長や構造改革に邁進できる、というわけだ*1

*1:[3/2追記]あるいは表題との関係で言えば、中央銀行が目前の経済状況を無視してあらぬ方向へ突っ走ってしまった場合でも、本来の職分に引き戻してくれる魔法の靴の役割をそうした政策ルールに担わせる、という言い方ができるかもしれない。