自然利子率は今いずこ?

9/2エントリでは、金融緩和政策の弊害について論じたホワイト論文に触れ、脚注ではFT Alphavilleのイザベラ・カミンスカが自説の補強に援用している、と書いた。しかし実はその援用に当たって、カミンスカは肝心な点でホワイトとは逆方向の主張を展開している。その点について彼女は、最近のエントリで以下のように述べている。

In his explanation, Krugman cites Wicksellian theory, which — by analysing the amount of savings with respect to demand for investment — gives economists an idea about whether the natural rate of interest is below or above the official one.

As Krugman points out, despite an earlier paper by Bill White arguing the opposite (though, we ourselves focused on White’s point that QE could be deflationary just as much as inflationary when we addressed the paper), all evidence in this regard suggests the natural interest rate is currently below the official one.

We ourselves have been making a similar point. ...
(拙訳)
クルーグマンは説明*1に当たって、ヴィクセル理論を引用しているが、それは、投資需要との関連において貯蓄量を分析することにより、自然利子率が公定金利より高いか低いかを経済学者が把握するための理論である。
クルーグマンが指摘するように、ビル・ホワイトは先の論文で逆のことを主張しているが(ただし、我々自身が該当論文を取り上げた際には、量的緩和はインフレ的になり得るのと同程度にデフレ的にもなり得る、というホワイトの論点に焦点を当てた)、この点に関してすべての証拠は現在自然利子率は公定金利を下回っていることを示している。
我々自身、これまでそうした主張を展開してきた。・・・


ちなみにホワイト論文を取り上げたエントリでカミンスカは、以下のように書いている。

What White seems to be saying is that if and when the QE ruse runs out and the time comes to influence markets through direct price level targeting, it could theoretically be too late.

That’s to say there’s a good chance that the credibility of the central bank will have been damaged so much, that it will be impossible to sway markets through policy declaration alone.

In short, the central bank will have lost control. And with the central bank not there to steer the economy, there’d be little stopping real-world deflationary forces — if they do exist — from running wild.

White doesn’t dismiss the arguments for inflation outright. The bulk of the paper addresses both sides of the argument in equal balance. Yet it’s the paper’s exploration of the unintended consequences in the financial sector and for central banks themselves, which lean to the deflationary side, which we feel stand out the most.
(拙訳)
ホワイトが述べていると思われることは、仮に量的緩和の弾が尽きて、直接的な物価水準目標で市場に影響を及ぼすべき時機が到来した時、理論的には既に手遅れになっている可能性がある、という点である。
つまり、中央銀行の信頼性が既に大きく損なわれてしまったため、政策表明だけではもはや市場を動かすことができない、となっている可能性が大いにある、ということである。
一言で言えば、中央銀行がコントロールを失う、ということになる。経済の舵取りをする中央銀行が不在となれば、実体経済のデフレ的な圧力(が存在するとして)が全開となるのを止める術はほぼ無くなる。
ホワイトはインフレの可能性も排除していない。論文の大部分は、両方の可能性を同等に扱っている。とは言うものの、金融部門と中央銀行自身にとって思わぬ帰結をもたらす可能性――それはデフレとなる可能性が強い――を追究した点こそが、論文の最も重要なポイントだと我々は受け止めた。


即ち自然利子率が依然としてゼロ金利下限を下回っている状態で、中央銀行が期待に働き掛ける手段を喪失したならば、デフレが暴走する可能性がある、という議論である*2


なお、このように普段市場機能重視論者と見られているミンスカが、マクロ経済学的な立場からクルーグマンのホワイト論文批判に肯定的な論陣を張る一方で、普段ライアン・アベントが金融緩和論を張っているエコノミスト誌のFree ExchangeでM.C.K.が、市場機能重視の立場からクルーグマンのホワイト論文批判を逆批判しているのが興味深い*3

*1:ここでは、クルーグマンが中国にヴィクセル理論を当てはめた9/5エントリを指している。このカミンスカのエントリも、その中国の話を主題としている。

*2:ちなみにModeled Behaviorのカール・スミスは、逆説的にゼロ金利が永続する条件について考察し中央銀行が人々の期待に強力に働き掛けることにより自然利子率をゼロに抑える、という状況がそれに相当する、と述べている。即ち、経済が成長の気配を見せるや否や金利を引き上げてその芽を摘み取り、人々の欲する貯蓄が投資を常に上回る状態を維持する、という状況である。

*3:ちなみに日本では、マスメディアで特に論陣を張っているわけではない一般人も、日銀に一段の金融緩和を求めるいわゆるリフレ派の議論に少しでも与したからには、そうした議論を主張する人々のすべての発言に責任を持つべき、という奇妙な(と小生には思われる)理屈を展開する人がネットの一部に存在するが(実際、少し前に小生にもそうした火の粉が飛び火した)、このように市場機能やヴィクセル理論という金融政策に関する論点のごく一部を取っても、英米の専門家の間でさえニュアンスの違いが直ちに生じることに鑑みると、如何にも馬鹿げた(かつ、自由闊達な意見表明の足枷となるという意味では危険な)理屈のように思われる。