ケインズ理論と相対性理論

少し前のはてぶで呟いたように、非自発的失業について論じる人はケインズ経済学を裏付けとして用いているのを小生は当然視していたのだが、そのはてぶのリンク先ブログエントリに書かれているように、今の世の中ではそれは裏付けのうちに入らないらしい。その辺りの事情は、ネットで最近見掛けた
https://twitter.com/maeda/status/235709226058645505:twitter
というツイートに良く表わされている。


このツイートのリンク先では、ケインズ経済学のミクロ的基礎付けを、従来のワルラス的枠組みから離れた形で構築することを試みているとの由*1。そういえば、こちらこちらにあるように、最近、各経済学者が自分なりのケインズ解釈を相次いで打ち出している。それに便乗するわけでもないが、今日は、ケインズ経済学について小生が前から漠然と考えていたことを、いわば「my two cents」として書き連ねてみる。



最近のこのツイートに書いたように、ケインズ経済学*2の一つの核心は、貯蓄と投資の関係を均衡条件として見い出したことにある、と小生は考えている。


一般に
  所得=消費+貯蓄
  支出=消費+投資
  所得=支出
なので、
  貯蓄=投資
となる、というのが貯蓄と投資の関係である。これは恒等式であり、事後的には必ず成立する。しかし、事前的には必ずしも成立するとは限らず、従って事前的には恒等式ではなく均衡条件となる、と喝破したのがケインズ経済学の重要な貢献である、と小生は受け止めている。


では、その事前的な均衡条件が事後的な恒等式に結び付くためには何が変化するのだろうか? 所得そのものが変化する、というのがケインズ経済学の出した答えである。


つまり、貯蓄投資バランスという条件を突き詰めていった結果、両者が内訳となっている所得自体がその条件によって変化することが分かった、というわけだ。これは、光速一定という条件を突き詰めていった結果、空間や時間そのものが歪む、という現象を見い出した相対性理論に喩えると話が分かりやすいのではないか、と小生は考えている*3


そこで明らかになるのは、例えばここでなされているように消費の低迷を論じる際に対GDP比率をベースに論じても、ケインズ経済学によればその分母のGDP自体が消費低迷の影響を受けるので、正しい分析ができない、という点だ。再び相対性理論の比喩を使うならば、重力によって空間や時間自体が歪んでいるのに、そうした歪みを無視して分析を行っても正しい結果は得られない、ということになる。
とは言っても、比率化せずに論じた場合には、消費額自体は下がっていないのだから低迷していないのだ*4、いや、上昇を続けているにしてもトレンドは下がっているから低迷しているのだ、といった水掛け論に陥ってしまいやすい。


ではどうすれば正しい分析ができるか、というのが次の疑問になるが、この点についてはケインズ経済学は答えを用意していない。というのは、かつてトービンがケインズは戦場を間違えたと評したように、ケインズの使った道具はあくまでも比較静学であり、動学的な分析は提供できないからだ。


そのことが、動学を標準とする現代経済学でケインズ経済学が一段下に見られている一つの要因にもなっているのだろう。また、ここで紹介したようなサムナー対クルーグマン&サイモン・レン−ルイスの議論のように、話が紛糾しやすくなる要因でもあるのだろう。


しかし、ケインズ経済学を軽視したとしても、ケインズ経済学の投げ掛けた問題が無くなったわけではない。そのことは、今般の危機の対処に当たって最新鋭の動学モデルが役に立たず、ケインズ経済学に立ち返る必要があった、というサマーズの述懐に象徴されている。まさに「ignore at your own peril」という英語の表現がぴたりと当てはまる状況だったわけだ。
この状況を喩えるならば、(リ=イマジニング版の)ギャラクティカにおいて、最新鋭の戦闘艦が敵の事前工作によってすべて無力化された中で、旧型艦のギャラクティカだけが無力化を免れ、敵と戦うことができた、というのに近いと言えるかもしれない*5

*1:正確にはリンク先はそうした試みを行った以下の本の抜粋。

ケインズ経済学の基礎―現代マクロ経済学の視点から

ケインズ経済学の基礎―現代マクロ経済学の視点から

*2:ここでは後世の解釈とケインズの元々の考え方を特に区別しない。

*3:ちなみにここで引用したように、ケインズ自身は(ISバランスではなく非自発的失業の文脈においてであるが)非ユークリッド幾何学と平行線の公理を喩えに使っている。

*4:cf. ここ

*5:この場合にバルターの役を演じたのはルーカスということになるのだろうか…?