コント:ポール君とグレッグ君(2012年第3弾)

今年に入ってからはほぼ一週間に一回というハイペースでお互いへの言及がありますな…。

グレッグ君
税金の累進性を論じるに当たっては、給与税を所得税と一緒にしておきながら法人所得税を無視するというのは意味が無い。というわけで、党派的なシンクタンクの図を再掲する時はもうちっと気をつけよう、ポール君*1
ポール君*2
最富裕層の低い税率という構図は法人税を考慮したら変わるのではないかと訊いてきた人がいたが、確かに幾らかは変わる。しかし、それを推計に取り込むことには数多くの含意があり、僕が保守派ならばそこに踏み込みたいとは思わないだろうな。
CBOの見積もり*3によると、2005年には最上位の0.01%の所得税率は17%だったのに対し、彼らの連邦税全体の税率は31.5%だったそうだ。その違いのほとんどは法人税の取り込みによるものだ。
でも右派は、企業とはつまるところ労働者だ、と言っていたんでは無かったっけ? もし企業の法人税は株主の負担だと言うならば、企業の利益は株主のものだ、ということに等しい。労働者との連帯感よ、さようなら、というわけだ。
あと、Piketty and Saezによると、法人税を考慮すると、1960年はもっと累進性が高かったことになる。1960年代の米国はダイナミズムを欠いていた、と言いたいのかな?
ということで、法人税を考慮したいならそれも結構だが、逆進的な税制が格差拡大の主犯だった、という含意につながるんだな、これが。

付け加えるならば、数年前、法人税の負担の多くは労働者にのしかかる、として保守派が税制におけるハエ取り紙の理論を批判していたと思うんだが、記憶違いかな? いいや、そうじゃない*4、確かにしていた。僕自身は、この手の議論をあまり真面目に受け止めていない。だからこそ、富裕層は1960年代以降に大きな減税を享受してきたというPiketty and Saezの議論にそれほど重きを置こうと思わないんだ。
ということで、保守派は二枚舌を使い分けようとする。企業への減税が問題になる時は、法人税は主に株主ではなく労働者が負担するのだから心配するに及ばない、と言う。最富裕層の低い税率が問題になる時は、株主の代わりに企業が支払った税金を考慮するとそれほど低くは無いのだから心配するに及ばない、と言う。奇妙な論法じゃないかね?
グレッグ君*5
あれれ、ポール君は見落としを認める代わりに、金曜日の論説*6で同じ誤りを繰り返しているぞ。さらに奇妙なことに、ブログでは租税転嫁の議論(僕の5番目の論点だ*7)を用いて法人税の除外を正当化しているね。もちろん、行動の変化による租税転嫁というのはすべての税に当てはまる話であり、法人税に限られるわけじゃあない。租税転嫁の持つ意味というのは、ポール君がそうしたように単に法人税を無視しろという話ではなく、税負担の分布の静学的な分析というのはすべて眉に唾して聞かなくてはならない、ということなんだ。


ちなみに上記以外でマンキューが税金の累進性について挙げた論点は:

  • ここの数字に示されているように、米国の個人所得税は全般的にかなり累進的。100万ドル以上の所得への平均税率は25%なのに対し、5〜7.5万の所得への平均税率は7%。
  • 個人所得税だけでなく給与税と法人所得税を包含した総括的な平均税率を使うべき。CBOのアナリストは定期的にそうした分析を行っており、マンキューが以前のエントリで指摘したように、米国の税制がかなり累進的であることを見い出している。
  • (基本的に負の税である)移転支出を考慮したら、ますます累進的であることが分かるだろう。ただ、移転支出と税のデータを統合することはあまりなされていないので、実際のデータでそれを示すのは難しい。
  • 上記の計算はすべて静学的なもので、税の真の負担が行動の変化によって転嫁されていくことによる一般均衡効果を無視している。つまり、生産要素が税の影響を受けないということを暗黙裡に仮定している。それは馬鹿げた仮定であり、特に長期ではそうだ。ただ、税の研究において真の一般均衡を得るのは難しく、マンキューが知る限り、すぐに引用できるような信頼できる推定結果は存在しない。

*1:[1/21追記]邦訳

*2:本エントリを上げた後にクルーグマンが上記の論点に反応した(正確にはマンキューに直接反応したわけでは無いが…)ので、1/21追記。

*3:下の箇条書きにあるマンキューの以前のエントリで参照したのと同じレポート。

*4:リンク先はマンキューブログの2006/5/3エントリ。

*5:元エントリへの追記がいつの間にかなされていたので、1/21にこちらも再追記。

*6:邦訳

*7:本エントリの下記の箇条書きの4番目。なお、そこの訳も、この追記に合わせて少し手直しした(「行動の変化に反映される過程における」→「行動の変化によって転嫁されていくことによる」)。