ポーランドの英雄か裏切り者か?

昨日紹介したポーランド外相シコルスキの演説に対し、賛否両論の反応が出ているらしい


否の方では、国内の野党が不信任案や問責決議案を出す動きを見せているとのこと。欧州連邦を提唱する彼の発言は、1989年以前の属国の状態にポーランドを戻そうとするものであり、憲法の誓約を破るものである、というのがその理由。第四帝国による覇権を提唱するものだ、という非難まで飛び出したとの由。


一方、German Marshall Fund of the United States(GMF)という組織のブログでは称賛の声が寄せられ、未来のEU大統領との呼び声まで掛かっている。また、同ブログのブロガーの中には、歴史的事例を巧みに盛り込んだその演説を分析した人もいる。それによると、昨日紹介したユーゴスラビアの事例を演説の冒頭に持ってきたことにより、その紛争時に30万人の難民を受け入れ、第二次大戦後初の軍事介入を余儀無くされたドイツ人の注目を確実に集めることができた、との由。


ちなみにシコルスキ演説では、別の連邦解体の事例を最後に持ってきている:

I started with a story of one experiment in political union, communist Yugoslavia.
Let me end with another: Europe’s least-known federation, the common state between Poland and the Grand Duchy of Lithuania which began in 1385 and lasted for over four centuries. Which is to say, longer, so far, than federations such as the United States, United Kingdom or Bundesrepublic Deutschland, to say nothing of the EU.
It was a Commonwealth which, like the EU, raised the standards of its time. It had a joint parliament and an elected head of state. Its political nation – those entitled to vote – comprised 10% of the population – the height of inclusiveness at the time. Religiously tolerant, it saved its people from the horrors of the Thirty Years’ War. Cities were founded on the Magdeburg law, many of them – like my home city of Bydgoszcz - by German settlers. Jews, Armenians and dissenters of all kinds from all over Europe voted with their feet to seek their fortunes there.
Liberty went hand in hand with military prowess. At Grunwald in 1410 its troops crushed the Teutonic Knights, whose heraldry lives on in the symbols of the German military. In 1683, at the gates of Vienna, we prevented the Ottoman Empire from uniting Europe under the banner of Islam.
And then, at the turn of 17th and 18th centuries, something changed. Elected kings, separate armies and currencies – couldn’t compete with unified, mercantilist, authoritarian nation states. The Commonwealth’s most democratic feature – the deputy of a single province could block legislation – became its biggest vulnerability. The principle of unanimity – admirable in a federal state – proved open to irresponsibility and corruption.
Poland eventually reformed itself. Our 3rd May Constitution of 1791 abolished unanimity, unified the state and created a permanent government. But reform came too late. We lost the war to defend the Constitution and in 1795 Poland was partitioned for over a century.
Moral of the story? When the world is shifting and new competitors arise, standing still is not sufficient. Institutions and procedures that have worked in the past are not enough. Incremental change is not enough. You have to adapt fast enough even to retain your position.
I believe we have the duty to save our great union from the fate of Yugoslavia, or the old Polish Commonwealth.

(拙訳)
私はこの演説を、共産主義ユーゴスラビアという一つの政治同盟の実験についての話から始めました。
最後に、別の実験についてお話したいと思います。欧州で最も知られていない連邦であるポーランドリトアニア大公国との連合*1です。それは1385年に始まり、4世紀以上に亘って続きました。つまり、現時点では、EUはもちろん、アメリカ合衆国グレートブリテン及び北アイルランド連合王国ドイツ連邦共和国といった連邦よりも長く続いていたことになります。
それはEUと同様、その時代の先端を行くような連邦でした。合同議会と選挙で選ばれた指導者を有していました。有権者は全人口の10%に達していましたが、それは当時としては最も高い比率でした。宗教面で寛容であり、30年戦争の恐怖から人々を守りました。都市はマクデブルク法に則って建設され、私の故郷であるビドゴシュチを含め、多くはドイツ人の入植者によって建設されました。ユダヤ人やアルメニア人、および欧州中のあらゆる反体制派の人々がこの連合にやってくるという形で自らの意思を表明し、そこで自分の運を切り開こうとしました。
自由は軍隊の武力と表裏一体でした。1410年にその軍隊はチュートン騎士団――その紋章はドイツ軍の紋章に今も使われています*2――をグリュンワルドで打ち破りました。1683年には、ウィーンの城門で、オスマン帝国イスラムの旗の下に欧州を統一することを我々は防ぎました*3
しかし、17世紀から18世紀に掛けての時代の移り目において、状況が変わりました。選挙で選ばれた王、および、ばらばらの軍隊と通貨では、統一された重商主義的かつ権威主義的な国民国家に太刀打ちできなくなったのです。ただ一人の地方代表が法制化を阻止できるという連合の最も民主主義的な特徴が、その最大の弱点になりました。全員一致の原則は、連邦国家においては称賛されるべきことのはずですが、無責任と腐敗の温床になることが明らかとなりました。
ポーランドは遂に改革を実施しました。1791年の5月3日憲法は全員一致の原則を廃止し、国家を統一して恒久的政府を打ち立てました。しかし、改革は遅きに失しました。我々はその憲法を守る戦いに敗れ、1795年にポーランドは分割され、その後一世紀以上も分割状態が続きました。
この話の教訓は何でしょうか? 世界が変動して新たな競争相手が現われた時には、何もしないのは得策ではない、ということです。過去にうまく機能していた制度や手続きではもはや対応できません。段階的な変化でも十分ではありません。自分の立ち位置を守るためだけにでも、素早く適応しなくてはならないのです。
我々には、我々の偉大な連合がユーゴスラビアや昔のポーランド連合王国と同じ運命に陥ることを防ぐ責務がある、と私は信じています。

この最後のくだりは、小沢一郎が好んで引用することで有名なヴィスコンティの「山猫」の台詞「変らずに生きてゆくためには、自分が変らねばならない」を彷彿とさせる。これはイタリア統一を背景にした台詞だが、シコルスキは、演説の中盤で、「イタリアはできた。イタリア人を作らなければならない。」というイタリア統一後初めての議会でのマッシモ・ダゼリオの(現実の)台詞*4を引用し、EUは既に統一欧州も欧州人も備えているのだから、あとは政治的形態を整えるだけだ、と訴えている。


こうしたユーゴスラビアポーランドリトアニア連合王国の事例とは逆に、シコルスキが演説の中で成功事例として挙げている連邦は、米国とスイスである。先のGMFブロガーは、そこでシコルスキが米国のアレクサンダー・ハミルトン財務長官の経済政策(13州の債務を共同保証とし、そのための歳入の流れを創出した)を持ち出したことは、ユーロボンドとより強力な欧州中央銀行というドイツが嫌う政策へのさりげない誘導である、と分析している*5


ちなみに昨日のエントリのぴっちゃんさんのコメントでは、シコルスキ演説の関連発言として、ユーロ圏が解体すると10年以内に戦争が起きる、と述べたポーランド財務相に関する記事をご紹介いただいた。正直なところ、通貨統合かしからずんば戦争か、という緊迫した問題意識は、経済学云々というよりは、歴史の苦汁を嘗めてきた東欧諸国の皮膚感覚から発せられているように思われ、我々日本人、あるいは例えば(ライアン・アベントのような)英米人にとっても理解し難いような気がする。それどころか、別のGMFブロガーによれば、大半のドイツ人にとっても理解を超えているようである:

The crisis is something that Germans only know from reading the newspaper–if at all. How are they to understand a sentence like this: “The breakup of the eurozone would be a crisis of apocalyptic proportions”? If is therefore understandable that the most relevant criticism of Sikorski heard in Berlin the morning after is directed at what locals perceive of as exaggerations. Is it really that bad? Break up? Come on. Isn’t Sikorski an alarmist of sorts?
So, let’s turn this around and assume that Sikorski is not an alarmist, but knows full well what he is talking about. But that, conversely, the echo chamber of Germany’s national conversation has produced an intolerable complacency. It would then be the merit of Sikorski’s wake-up call to have alerted the German public to the reality of their responsibility for the travails of the eurozone. Maybe the most important moment of his speech came when he reminded the audience that, despite Germany’s “understandable aversion to inflation,” the country would have to “appreciate that the danger of collapse is now a much bigger threat.” Maybe five individuals in the audience applauded. Other than that, there was complete and deafening silence. The audience wanted none of it. They did not want to hear the distinction of a problem of the first- and one of the second-order.
Radoslaw Sikorski said what needed to be said. And he said it where it needed to be said and when it needed to be said. Will the Germans hear him?
(拙訳)
危機は、ドイツ人が把握しているとしても、新聞を通じてのみ把握しているものだ。彼らにどうして「ユーロ圏の解体は黙示録級の危機となろう」というような言葉が理解できようか? 従って、シコルスキ演説の翌朝にベルリンで聞かれた最も当を得た批判が、現地の人々が誇張と受け止めた部分に向けられたことは理解できる。そこまで状況は悪いの? 解体? まさか。シコルスキは騒ぎ過ぎなんじゃないの?
だが、もしシコルスキが騒ぎ屋などではなく、自分が何を言っているのか完全に理解しているとしたらどうだろうか。その場合は、逆に、ドイツの世論が行き過ぎた自己満足に陥っていることになるのではないだろうか。すると、ドイツ国民がユーロ圏の苦難に関して負っている責任という現実を突きつけたことが、シコルスキの目覚ましコールの功績だったことになる。彼の演説の最も重要な瞬間は、ドイツの「インフレへの忌避は分かるが」、「崩壊の危機の方がより大きな脅威となっていることを認識」すべき、と聴衆に呼びかけた時だっただろう。多分聴衆のうち5人くらいが拍手喝采した。それを除くと、完全な耳を聾さんばかりの沈黙が支配した。聴衆は聞きたくなかったのだ。彼らは最重要の問題と二次的な問題との区別など耳にしたくなかった。
ラドスワフ・シコルスキは言うべきことを言った。彼はそれを、言うべき場所で言うべき時に言った。ドイツ人は彼に耳を傾けるだろうか?


なお、シコルスキは、ユーロ参加のためにいかにポーランドが犠牲を払ってきたかを強調すると同時に、ユーロ圏の拡大が今回の問題の原因では無いとして、財政規律の強化によってユーロ圏に信頼を取り戻すことを訴えている*6。そして、演説の結論部では以下のように述べている:

We are not only by far the world’s biggest economy but the largest area of peace, democracy and human rights. Peoples in our neighborhood – both East and South – look to us for inspiration. If we get our act together we can become a proper superpower. In an equal partnership with the United States, we can preserve the power, prosperity and leadership of the West.
(拙訳)
我々は群を抜いて世界最大の経済であるだけでなく、平和と民主主義と人権が守られている世界最大の地域でもあります。我々の東と南の双方の近隣は、我々から刺激を受けています。我々が結束して行動すれば、我々は自らの力に相応しいスーパーパワーになれます。米国と対等のパートナーシップを結ぶことによって、西洋の力と繁栄と指導力を維持することができるのです。

こうしてみると、歴史の荒波に翻弄されてきた弱小国の国民が世界的なスーパーパワーの一員になる、ということが彼らにとってどれほどの意味を持つのか、そして、そのためにどれほど緊縮策を耐え忍ぶ用意があるのかは、外からは計り知れないものがある、ということなのかもしれない。

*1:cf. wikipediaエントリ

*2:cf. これ

*3:cf. ここ

*4:cf. ここここ

*5:cf. この日本語記事

*6:昨日リンクしたEconomist記事を書いた記者は、それに関連して、新規加入ではなくオリジナルメンバーが問題を起こした、という自分の以前の記事を紹介している。