欧州危機と定言命法

昨日のエントリに対しぴっちゃんさんから様々なコメントを頂いたが、その中に「シコルスキは演説の中でイマニュエル・カントの定言命法に言及しましたが、なぜ彼がこれを出してきたのか、ポーランド憲法をお読みになれば理解できると思います」というものがあった。
実際にシコルスキの演説から該当部分を引用すると以下の通り。

The fate of Yugoslavia reminds us that money, as well as being a technical device, a ‘means of exchange’, symbolises unity – or disunity.
Why is this? Money exists because communities exist. A community in which people live and trade – they exchange freely – creates value. Their money symbolises that value.
This moral significance of money intrigued Immanuel Kant, who wrote that the entire practice of lending money presupposed at least the honest intention to repay. If this condition were universally ignored, the very idea of lending and sharing wealth would be undermined.
For Kant, honesty and responsibility were categorical imperatives: the foundation of any moral order. For the European Union, likewise, these are the cornerstones. I would point to the two fundamental values: Responsibility and Solidarity. Our responsibility for decisions and processes. And Solidarity when it comes to bearing the burdens.
(拙訳)
ユーゴスラビアの運命は、通貨が技術的装置であると同時に、「交換の手段」であり、統一、もしくは不統一を象徴するものであることを我々に思い起こさせます。
なぜでしょうか? 通貨が存在するのは共同体が存在するからです。人々が生活し、自由な取引を行う共同体は、価値を生み出します。共同体の通貨はその価値を象徴するのです。
この通貨の道徳的重要性は、イマヌエル・カントを刺激し、彼は、お金を貸すという行為はすべて、少なくとも、誠実に返済しようという意思を前提としている、と書きました。もしこの条件が一般に無視されるようになれば、融資や富の共有という概念そのものが成り立たなくなってしまいます。
カントにとって、誠実と責任は定言命法、即ちすべての道徳秩序の基礎をなすものでした。欧州連合にとっても、同様に、それは土台となるものです。私は2つの根本的価値を挙げたいと思います。責任と連帯です。決定と手続きに関する責任と、負担を負う際の連帯です。

つまり、有体に言ってしまえば、「貸した金返せよ♪」という文脈でカントの定言命法に言及しているのである。確かにその後に、ポーランドにとって特別な意味を持つであろう言葉「連帯」を用いて、負担を共に分かち合いましょうということも言っているが、同時に責任を強調することも忘れていない。


ちなみに「定言命法」をwikipediaで調べると、以下のように記述されている。

無条件に「〜せよ」と命じる絶対的命法である。…他のあらゆる倫理学の原則は「〜ならば、〜せよ」という仮言命法であるのに対して、カントの定言命法は「〜ならば」という条件が無い『無条件の行為』を要求する。


このカント/シコルスキの定言命法の意味をより明確に表現したのが、タイラー・コーエンのこのエントリの以下の一節と言えるだろう。

The German emphasis on rules, and the attachment to the idea of an abstract order, worthy of loyalty in its own right, above and beyond any immediate personal connection or loyalty, is exactly what makes them able to run such a successful economy and successful social welfare state. When it says “Don’t Walk,” they don’t cross the street, even if no cars are coming. An economic union should be set up to support those principles, not tear them down, and social democrats should value this most of all.
(拙訳)
ドイツ人は規則を強調し、直接的な個人的関係や個人的忠誠をすべて超越した、それ自身に忠誠を誓う価値がある抽象的な秩序の概念に愛着を抱くが、それこそが彼らに、あれほど成功した経済と成功した社会福祉国家の運営を可能ならしめたものなのである。横断歩道が赤信号ならば、たとえ車が来なくても彼らは道を渡らない。経済連合はそうした原則を支持する形で形成されるべきであって、そうした原則を破棄する形で形成されてはならない。社会民主主義者はそのことを最重要視すべきである。

コーエンは一方で、周縁国について以下のように言い放っている。

When it comes to debt, the periphery countries simply don’t want to pay up. Their national wealth is many times their gdp and thus much much greater than their debts, even for Greece. It’s amazing how many people won’t come out and utter or recognize this simple truth. Italy for instance doesn’t have to make a huge fiscal adjustment.
(拙訳)
債務という点について言えば、周縁国は単に完済したくないだけなのだ。彼らの国富はGDPの何倍もあり、従ってギリシャにおいてすら、債務よりもかなり大きい。この単純な真実を口に出したり認識したりする人があまりいないことに驚く。たとえばイタリアは財政的な調整を行う必要さえない*1

つまり、カントの言う誠実と責任という定言命法が周縁国では成立していない、とコーエンは解釈しているわけだ*2


このコーエンの言説に対してはEconospeakでピーター・ドーマンが反駁しているが、そこで以下のように書いている。

Except for Greece, loans taken out by public and private borrowers were generally in good faith. The economic catastrophe that decimated their finances was unanticipated. You could say they engaged in poor judgment by not taking the risk of such a catastrophe into account, and you would be right, but this verdict applies equally to the lenders.
(拙訳)
ギリシャを除き、政府もしくは民間の借り入れは全般に誠実な形で実施された。彼らの財政を毀損した経済的大惨事は予期されたものではなかった。そうした大惨事の危険性を計算に入れていなかったということで彼らの判断が間違っていたと言うことはできるかもしれないし、それは正しいかもしれない。しかしそれは貸し手にも同様に下されるべき評価である。

即ち、カントの言う「誠実に返済しようという意思」は存在しており、誠実と責任という定言命法は成立している、というのがドーマンの解釈である。


さらに、ドーマンは次のようにも書いている。

If the real estate market crashes in Spain, and the government is forced to step in to prevent a financial meltdown, what is the morality or economic sanity of demanding that the people of Spain be punished and forced to undergo a generation or more of austerity?
(拙訳)
もしスペインで不動産市場が暴落し、政府が金融崩壊を防ぐために介入することを余儀無くされるならば、スペインの人々が罰せられ、一世代もしくはそれ以上に亘って緊縮策に耐えることを要求する道徳ないし経済的健全性というのは一体何なのだろうか?

つまり、借金返済そのものは無条件に実施すべき定言命法ではなく、経済的破綻が発生しないという前提のもとで実施すべきいわば仮言命法である、というのがドーマンの立場ということになる。

*1:ここでコーエンはフェルドシュタインのFT論説(要サブスクリプション)にリンクしている。その要約はこちら

*2:このコーエンの厳しい判断には、同エントリでリンクされているこのシュピーゲル記事も影響していると思われる。そこでは、まともに売掛金を払おうとしない顧客にうんざりして、ギリシャを離れエストニアに定住したギリシャ人のエピソードが紹介されている。