効用の効用

以前紹介したように、アンドリュー・ゲルマンと並んでピーター・ドーマンもかねてから経済学における効用関数に異を唱えているが、こちらのエントリで改めてその主張をまとめている。

以下はその書き出し。

For those who think that economics is, above all, a method and not a subject matter, the centerpiece of the whole enterprise is utility. In the canonical set of models, individuals act to maximize their utility, and the purpose of economics is to identify the two-way relationship between factors that impinge on this choice procedure and the choices themselves. The external environment (institutions, policies, claims on resources, technology, preferences of other agents), combine with the decision-maker’s own preferences to generate a choice, and the choices of all the relevant agents cumulatively alter their shared environment. This is the program for all standard microeconomics and for microfounded macro. One convenient feature is that, if you use this approach, the same analysis that provides your positive explanations and predictions does double duty as a normative tool: maximizing utility is why people do things and also the goal to be sought after.
(拙訳)
経済学はまず何よりも手法であって内容ではないと考える者にとって、経済学すべての中心に位置するのは効用である。標準的なモデル群においては、個人は自らの効用を最大化するように行動し、そして経済学の目的は、この選択過程に影響を与える要因と、選択そのものと間にある両方向の関係を明らかにすることにある。外部環境(制度、政策、資源に対する権利、技術、他の経済主体の選好)は、意思決定者自身が選択を行う際の選好と結びつき、関係者すべての選択が合わさって皆の共通の環境を変える。これはすべての標準的なミクロ経済学と、ミクロ的基礎付けを持つマクロ経済学におけるやり方である。この手法を用いることの便利な特徴の一つは、実証的な説明と予測を提供する分析が、そのまま規範的ツールとしての二重の役割をも果たすことにある。効用最大化は人々が何かをする理由であると同時に、追求すべき目的ともなるのだ。


この後ドーマンは行動経済学に矛先を向け、そこでは非合理的な行動が導入されるにも関わらず、依然として効用がベンチマーク的な役割を務めている、と批判する。人間の行動を最も深く追究している学問分野である心理学においては、効用は実証面でも規範面でも何ら役割を果たしていないではないか、と彼は言う。


その上で、経済学を内的整合性を持つが外的整合性を持たない機関に例えている。

If you devise a heat pump based on a set of assumptions about how its components work, and one of these assumptions violates the Second Law of Thermodynamics, your design might be internally consistent but fail the external consistency test. That’s the state of economics today: it uses models which, if you accept their maintained assumptions, are internally consistent, but the assumptions are inconsistent with what research outside the discipline has demonstrated. Or to put it more crudely, if economics is right, psychology is wrong. Who are you going to believe if the question is about human behavior?
(拙訳)
部品がどのように機能するかについての一連の仮定の下にヒートポンプを設計した場合、その仮定の一つが熱力学の第二法則に反しているならば、その設計は内的整合性を有しているかもしれないが、外的整合性の検証には耐えられない。それが今日の経済学の状況である。経済学において主張される仮定を受け入れるならば、そこで使われるモデルは内的整合性を持つ。だがその仮定は、経済学以外の分野の研究が示すところと整合的ではない。あるいはもっと乱暴な言い方をすれば、経済学が正しいならば心理学は間違っている。問題が人間の行動に関する場合、どちらを信じるべきだろうか?


それに対して想定される反論は、効用や効用最大化に整合的な実証結果は山とある、というものである。しかしその「整合的」というのがくせものである、とドーマンは言う。経済行動に関する実証結果は様々な仮定と整合的であり、効用最大化はその一つに過ぎない。そして、効用最大化に基づく予測が他の心理メカニズムに基づく予測と矛盾する時、概して効用最大化の方が負ける。ドーマンによれば、それが心理学者が効用最大化を推さない理由である。


ただしドーマンは、思考実験におけるヒューリスティックな道具としての効用の価値は認めている。問題は、人々が実際にそれを最大化していると考えたり、規範的な価値をそれに基づいて評価することにある。ヒューリスティックな道具は理論の命題ではなく思考の手助けに過ぎないが、今の経済学は両者を混同しており、効用が恰も現実の量的指標であるかのように扱っている、と彼は言う。経済学を規範的なものと考えるべきではない、という点を彼は強調する。経済学は、人々がより金持ちになったということは言えても、より良くなったということは言えない、その点を認識すれば効用の呪縛から一歩逃れることになる、と述べて彼はエントリを締め括っている。