悪質な経済学批判であることの18の兆候

をカナダ・ビクトリア大学のChris Auldが自ブログエントリで挙げている。以下はその18項目。

  1. マクロ経済予測を、経済分析の主要ないし唯一の目標と見做している。
  2. 政治的な枠組みで批判する。最も一般的なのは、経済学者は市場原理主義者である、という主張。
  3. 新古典派」という言葉をあたかも政治哲学、一連の政治対策、もしくは実際の経済を指すかのように用いる。おまけ:「新−古典派」(“neo-classical” or “Neo-classical”)と綴る。
  4. 「例の」新古典派モデル(“the” neoclassical model )という形で言及する。さもなくば、すべての経済思想がワルラス(1874)に詰まっている、と言う。
  5. 新古典派経済学」と「主流派経済学」を同義で用いる。おまけ:「新自由主義経済学」を両者と同義で用いる。
  6. 新自由主義」という言葉をとにかく用いる。
  7. 「企業のご主人様」に言及するか、さもなくば経済学者が富裕層もしくは企業の提灯持ちであると当てこする。
  8. 経済学者は人々が常に合理的であると考えている、と主張する。
  9. 金融危機が主流派経済学の誤りを証明した、と主張する。
  10. 経済学は実証的ではない、と大っぴらに主張するか、実証経済学を無視することにより暗にそう主張する。
  11. マクロ経済学派同士の闘いが経済学のすべてであるかのように言う。
  12. 「合理的」という専門用語を曲解する。
  13. ファイナンス的な意味での)「効率的」や(パレート的な意味での)「効率的」という専門用語を曲解する。
  14. 「外部性」という専門用語を曲解する。
  15. 経済学者はお金しか気にかけない、と主張する。
  16. 経済学者は環境を無視する、と主張する。派生形:経済学は「有限な惑星における無限の成長は不可能である」という点について行き詰る、と主張する。
  17. ノーベル経済学賞が本当のノーベル賞ではないという点についてことさらに言い立てる。
  18. 「Debunking Economics*1」を引用する。


これに対抗してUnlearning Economicsが、経済学者が分かっちゃいないことを示す18の兆候を挙げている(H/T クリス・ディロージョン・クイギン)。

  1. 「すべてのモデルは単純化である」という考えに依って立つ。恰もそのことが、方法論、内的な不整合、実証結果との関連性に向けられたいかなる批判にも対抗する防火壁を何らかの形で作り出す、とでも言うかのように。
  2. 金融危機は自分たちの学問には無関係だと主張する(おまけ:そうした出来事を予測するのは不可能、とも主張する)。
  3. 行動経済学、新制度学派、そして「ケインジアン」経済学さえも、経済学が多元論的であって新古典派的ではないことの証左になっている、と考えている。
  4. 経済学論文の大部分が「実証的」であるという事実は、経済学者が科学的手法を用いていることの証左になっている、と考えている。
  5. 新古典派経済学」というものは存在せず、その言葉は反対派の悪態に過ぎない、と考えている。
  6. 追い込まれると、自分たちの理論や前提を、馬鹿げているほど根拠薄弱で、事実上反証不可能な主張にまとめ上げてしまう(顕示選好、効率的市場仮説、合理性など)。
  7. 過去の思想や、歴史上の思想家や著作の包括的な研究を、「科学的ではない」として退ける。
  8. 実証経済学と規範的経済学は完全に分離可能であり、自分たちの分野は「価値観から自由」だと考えている。
  9. 自分たちとは異なる「経済学」の手法にはとにかくまったく考えが及ばない。
  10. バーターや自由貿易の神話など、彼らの持論に都合の良い誤った歴史を信じている。
  11. ミクロ的基礎付けはルーカス批判への対処として必要かつ十分なモデル技法だと考えている。
  12. 経済学は政治から分離可能であり、実世界における政治的役割と経済思想の応用は学界での議論には関係無いと考えている(例:フリードマンピノチェト中央銀行の独立)。
  13. 経済学は穏やかな収穫期を迎えていると考えている(自己満足のバブルに基づく)。
  14. キャップ&トレードや炭素税を支持することは、「環境問題に対処している」ことになると考えている。
  15. 1つか2つの観測された事象と整合する非現実的なモデルを作成することは、健全ないしやる価値のあることと考えている(DSGEやその他のモデルはそうした「摩擦」アプローチが特徴となっている)。
  16. 政治学歴史学社会学といった他の社会科学における問題の分析手法として、自分たちの分野が適切である、ないし、より優れている、と考えている。
  17. 自分たちの前提が真である(ないし十分に真に近い)かのように世界が動く、と考えている。
  18. 数学の使用が、自分たちの分野が「厳密」かつ科学的であることの証左になっている、と考えている。

*1:

Debunking Economics: The Naked Emperor Dethroned?

Debunking Economics: The Naked Emperor Dethroned?