コント:ポール君とグレッグ君(2011年第8弾)・補足

昨日クルーグマンのバロー批判とそれに対するマンキューの反論を取り上げたが、タイラー・コーエンもクルーグマン(およびクルーグマンのエントリを転載したデロングと、ツイッターでバローの経済モデルがわからんとつぶやいたジャスティン・ウルファーズ)に反論している


コーエンに言わせれば、クルーグマンら「新しいオールドケインジアン」は、本来短期の問題を扱うケインズ経済学を長期の問題にまで拡張して考えているから話がおかしくなるのだ、バローは通常の長期の経済学に基づいて論じている、とのことである。


このコーエンの「新しいオールドケインジアン」という表現にカチンと来たのがMark Thomaで、すべてを統べる経済理論が存在しない以上、直面する問題に応じてモデルを使い分けるのは当然ではないか、と再反論している。このThomaのエントリにさらにクルーグマン反応し、大筋でThomaに賛成しつつも、それほど多くのモデルを取っ替え引っ替えしなくても、ISLMとニューケインジアンの両刀使いであれば事足りるのではないか、と論じている。


また、コーエンのバロー擁護に対しては、デロング(およびそのコメント欄でのロバート・ワルドマン)が、問題は、バローが――コーエンの言うような長期的な経済成長についてではなく――短期的な経済回復について論じていると称していることにあるのだ、と指摘している。


デロングは、今の右派系経済学者は(フリードマンと違って)短期の経済モデルも何も持っていないのではないか、とも書いている。ノアピニオン氏もこの点についてデロングと同様の見解を示しており、以下のように書いている

Now, maybe Mankiw and Barro don't believe that real countercyclical policy exists, and that instead the best we can hope for is that crises will make needed structural changes politically feasible. But then I think they should say this.
(拙訳)
まあ、マンキューとバローは、真に反循環的な政策が存在するとは考えていないのかもしれない。そして、我々がせいぜい望み得るのは、危機によって必要な構造改革が政治的に実行可能になることだ、と考えているのかもしれない。しかしそうならば、彼らはそのように言うべきだと思う。