米国の政府債務上限問題の解決策として、ロン・ポール下院議員が、FRBの持っている国債1.6兆ドルを無しにしてしまえ、と提言した。それをディーン・ベーカーが、驚くほどまともなアイディアとして支持したことから、ネット上でこの件に関する議論が一気に広がった。
ノアピニオン氏やジェームズ・ハミルトンは、この提案のもたらすインフレの危険性について懸念している。ノアピニオン氏は、そもそもロン・ポールは金本位制論者として知られているのに、それとはまったく逆のシニョリッジによるハイパーインフレの危険性をもたらす提案をするとは何事か、と強い調子で警告している。またハミルトンは、これまでロン・ポールのインフレ懸念は裏付けが無いと批判してきたが、今回の彼の提案はその予測精度を著しく高めてしまうかも、と書いている*1。
実は、シニョリッジとインフレの関係を利用し、中央銀行による保有国債の部分的な償却によって制御されたインフレをもたらす可能性については、小生も以前思考実験として本ブログで提示し、コメント欄で岩本康志氏から批判を受けたことがある。今回もそうしたリフレ策の一環としてベーカーがポール案を支持したのかと思ったが、さすがにそこまで乱暴な議論には踏み込んでおらず、
という2点をポール案のメリットとして挙げている。そして、保有国債を無くしてしまったら将来インフレ懸念が生じた際に超過準備を吸収するための国債の売りオペができない、という問題については、預金準備率の引き上げを対処法として提唱している。
これに対しマンキューが、預金準備率の引き上げは銀行融資業務に対する一種の税金であり、実体経済に悪影響を与える、と批判した*2。それに対しベーカーは、マンキューの見解を認めつつも、その影響はたかが知れている、と反論している。
このベーカーの預金準備率の議論に対し最も詳細な批判を繰り広げたのがMatt Rognlieで、今の1.6兆ドルの準備預金をすべてカバーするためには、預金準備率を100%にしただけではまだ足りず、準備率を掛ける対象を広げなくてはならない、とその非現実性を批判した。さらに後続のエントリでは、これは税金にほかならない、というマンキューと同様の批判を繰り広げている。
このRognlieの議論に対しては、必ずしも現在の準備預金をすべてカバーするところまで所要準備額を引き上げなくても良いのではないか、という批判的なコメントが付いた。それに対しRognieは、そのコメンターのブログにまで乗り込んで、FF金利が準備預金への付利(IOR)より高くなるという通常の状態に戻すには、その水準にまで所要準備額を引き上げることが必要なのだ、それをベーカーは理解していない、と力説している。
これに関連する議論として、前述のハミルトンのエントリでAndy Harlessが、超過準備が貨幣として流通するのが嫌ならばIORを引き上げれば良い、とコメントしたのに対し、ハミルトンが、保有国債を無くしてしまったらそのIORを払う元手も無い、そうなると貨幣を増刷するしかないではないか、と指摘している。それに対しHarlessは、ジェームズ・ボンドが殺しのライセンスを持っているのと同様にFRBにはポンツィ・スキームを続けるライセンスがあるのだ、それにそうしたIORの高金利は他の金利にも波及し、結果として財政側にボールを投げ返すことになる(=財政側が利払いのために他の財政支出を抑制して財政黒字を計上し、それによって需要を弱め、インフレ圧力を下げることになる)、と応じている。
*1:ハミルトンはまた他のブロガーの反応にも触れ、Stephen Williamsonがポール案との比較分析に当たって国債をFRBが償還まで持ち続けるケースと永久にロールオーバーし続けるケースをきちんと区別していないと批判する一方で、マンキューの預金準備率に関するコメントをA+に相当する、と褒めている。
*2:ちなみにこのマンキューの預金準備率に関する議論をcontractionaryという言葉で表現したタイラー・コーエンのエントリのコメント欄にサムナーが姿を現し、金融引き締め的な意味でのcontractionary(名目GDPの減少)ではなく、税金による歪み的な意味でのcontractionary(実質GDPの減少)をマンキューは意図しているのだよ、と注意喚起している。