米国の移転支出は過大か?

かねてから今回の経済危機に対する米国の景気対策(ARRA)の効果に懐疑的だったジョン・テイラーが、その主張を論文にまとめ、6/30ブログエントリで紹介した。これに対しノアピニオン氏が、その論文は財政支出の規模が不十分だったというケインジアンの主張と符合するように読める、という趣旨のエントリを書きクルーグマンもそれに同調した。それに対しテイラーは、そうではない、自分はそうした財政支出はもはや政治的および運用的に現実的ではないと考えているのだ、と反論した*1


ここで焦点になっているのは、景気対策のための財政支出において、GDPを直接押し上げる政府の購買があまり増えず(ないし増やせず)、代わりにGDPには直接影響しない移転支出の割合が大きくなってしまう、という以前も紹介した問題である。この点に関しテイラーは、Hyunseung OhとRicardo Reisの今年1月の論文(WP)にリンクしている。その論文でOh=Reisは、幾つかの興味深いデータを示しているので、以下に紹介してみる。


一つは、2007年第4四半期から2009年第4四半期に掛けての政府支出の増加を各国間で比較したものである(以下は論文の表1をグラフ化したもの)。

この期間中に米国は政府支出を14.2%(GDP比にして4.4%)増加させているが、その増加分のうち政府投資の比率は5.6%、政府消費は21.1%なのに対し、移転支出は75.3%(GDP比にして3.4%)に上るという。また、1998年第4四半期から2006年第4四半期に掛けての名目GDP成長率と移転支出のGDP比増加率を足し合わせたものから移転支出の増加傾向を割り出してみると、本来はその2年間に2.8%しか移転支出は増加しないはずだったという。それに対し実際の増加率は27.4%だったので、25%程度トレンドを上回ったことになる*2。この値はアイルランドスロバキアフィンランドに次ぐ大きさである。
そのほか、より長期の傾向として、1947年から2007年に掛けて財政支出GDP比は倍増したが、過去50年間に移転支出のGDP比は3倍に増え、2007年には財政の39%を占めるに至った、という数字も論文では紹介している。


ちなみに上記のデータによると、同期間の日本の財政支出伸び率5.3%のうち、86%が移転支出で、購買支出は9%に過ぎなかったが、それでも移転支出の増加はトレンドを9.3%下回ったことになっている。


論文のもう一つの数表では、年次データを用いて、2007年から2009年に掛けての財政支出増加の内訳をより詳細に見ている(以下はその表[表2]をグラフ化したもの)。

これを見ると、社会保障関連の移転支出のうち、医療が最大で、退職・障害者向けがそれに続き、失業保険は3番目に位置するに過ぎないことが分かる。
論文ではさらに、それらの各項目について以下の考察を行っている。

  • 退職・障害者向けの支出の2年間の伸び率15.5%を、インフレと人口増加分を差し引いて一人当たり実質値に換算すると、9.8%になる。それをさらに65歳以上の人口比率、および65歳以上の非労働人口比率に対し回帰すると、残差は5.6%と元の伸び率の1/3程度になる。
  • 医療関連の移転支出の伸びは13.3%だったが、同期間の消費者物価指数の医療関連項目の伸び率は7.0%と総合インフレ率の3.2%の倍以上であった。これは、価格上昇が医療支出の半分しか説明できない=量の増加が半分に達するという近年の傾向を反映している。なお、メディケイドの伸びは全体の伸びを下回るので、その資格者数の増加ではこの伸びの高さは説明できない。
  • 失業保険は276%伸びたが、一人当たりに換算すると69%。そこから失業率の高さと失業期間の長さで説明できる部分を回帰で除くと、残差は13.2%となる。

つまり、社会的移転支出の増加は大きいものの、その大半は比較的少数のパラメータで機械的に説明できることになる、と論文では考察している。


論文の後半では、こうした移転支出がGDPに与える影響を調べるためのモデルを構築している。ただ、そのモデルでは不況対策としての移転支出を考慮したというよりは、労働者の健康に問題が生じたために働くことに支障が生じるという要因を組み込んだことが特徴になっている。その上で、裕福で健康な人から裕福でない不健康な人に移転支出を増やした場合、裕福な人の裕福度が減るために働きに出る人が多くなり、それによってGDPと雇用にプラスの効果が出る半面、不健康な人の働くインセンティブは余り変わらない(元々労働市場からかなり遠い人を移転対象にしているので)、というシミュレーション結果を示している。正直言って、現在の景気対策とどの程度関係があるのか首を捻りたくなるようなシミュレーションではある*3

*1:それに対しノアピニオン氏は、エントリの追記で、
(1)テイラー自身が以前のブログエントリで中国ではそうした支出が実施されたことを紹介している。
(2)最善の経済政策であっても政治的に現実的でなければ経済学者はそれを推奨するべきではないと言うのか? だが、メディケアの民営化も政治的に見て現実的ではないと思われるにも関わらず、テイラーはそれを推奨しているではないか。
という2点を指摘している(…後者の論点は金融政策に関するクルーグマンの立場に対しても跳ね返ってくるような気がするが…)。

*2:引用した数字の差は24.6%であるが、グラフに用いた表の数字は25.4%となっている。

*3:そのほか、消費性向の低い人から高い人への移転というケインジアン的な経路のシミュレーションも行っており、その効果は上記のシミュレーションより一桁小さい(しかも資本減少によるその後の反動減が大きい)、と報告しているが、基本的に新古典派モデルなので当然という気もする。また、同じモデルを用いて、ARRAの移転支出の効果はGDPの0.02〜0.06%、購買支出による効果は0.06%程度だった、とも報告している。