現在の米国は90-00年代の日本とは違う

として、ジョン・テイラーが以下の3つの相違点を挙げている

  1. 1990年代、そしてとりわけ2000年代初めの日本はデフレだった。1999年から2003年に掛けてGDPデフレータは下落した。米国ではそのような長期のGDPデフレータの下落は近年見られていない。
     
  2. 当時の日本のマネタリーベース増加を自分が支持したのは、(M2+CDといった)マネーサプライの伸び率を復旧するためだった。自分が日銀のアドバイザーだった当時に示したように、貨幣成長率の低下が1990年代の日本のデフレと経済の低成長の大きな原因だった。自分が財務省にいた当時に是認した2000年代初めの日本の金融政策の目的は、あくまでも貨幣成長率を復旧することにあった。その点で、不動産証券価格や株価を一時的に押し上げることをしばしば正当化理由としている今日のFRB量的緩和とは訳が違う。自分が日銀のアドバイザー当時に書いたこちらの見解を参照のこと。
     
  3. この話はルールと裁量という問題にも関わる。ミルトン・フリードマンが提唱した類の貨幣成長率ルールは、ゼロ金利に達した日本では極めて適切なものであり、それに従う中銀は、貨幣成長率の低下を防ぐ、もしくは、既に低下した貨幣成長率を元に戻すためにマネタリーベースを増やすべき、ということになる。換言すれば、そうした緩和政策は政策ルール――今の場合は貨幣供給量の伸びに関するルール――と整合的ということで正当化される。そのルールは貨幣成長率の低下を回避することを要求しているからだ。しかしながら、今日のFRBによる大規模な資産購入は、極めて裁量的かつ予測不能な短期の介入であり、ルールに沿ったものとは到底言えない。予測可能なルールに沿った政策からFRBが離れたことが(その乖離は2003-2005年に始まり、今も続いている)、自分が最も懸念するところなのだ。


これはUneasy MoneyのDavid Glasnerによる批判への反論として書かれたものだが、そこでGlasnerは、テイラーの11/1付けWSJ論説における「金融介入主義(monetary interventionism)」批判が、2006年の彼のESRI論文*1における同主義の称揚と矛盾するではないか、と指摘した*2
なお、Glasnerはこのテイラーの反論に対し、FRBは1981-82年にフリードマン型のルールを放棄して以来特定のルールを明らかにしていないので、彼の言うルールが具体的に何を示しているのか不明だが、もしデータから推察されるような5-6%の名目GDP成長をルールとするならば、量的緩和は適切な対応となるし、ほとんどのテイラールールのバージョンからもそれが支持される、と応じている。


ちなみにテイラーのこうした矛盾を指摘したのはGlasnerが初めてではない。1ヶ月前にMarcus Nunesが上記のESRI論文と10/6ブログエントリとの矛盾を取り上げ*3、それをサムナーが再掲している


さらにちなみにだが、そのサムナーのエントリのコメント欄で小生が、テイラーはESRIの討論者の渡辺努氏に説得されたのかも、とコメントしたところ、サムナーは、渡辺氏の示した実証は実証になっていない、景気回復は実際の資金投入時ではなく声明発表時と連動するからだ、といかにも彼らしい見解を示している。また、日銀の多くの人は当時の金融政策は成功だと思っていない、と書いた1年前のテイラーのエントリも合わせて示したところ、それについてサムナーは、彼らは成功だと思っていたからこそ2006年に引き締めに転じたのではないか、と応じている(また、今日になって改めてそのテイラーのエントリを、「ジョン・テイラーは日本の大デフレに部分的に加担したことを認めた(John Taylor takes partial credit for the Great Japanese Deflation)」と題したエントリで槍玉に挙げている)。



[11/5追記]
okemosさんから「テイラーの意図は要するに民主党政権の利になるような行動を連銀は取るなというものでしょうしね。」というはてぶを頂いたが、テイラーもそうした批判は予期していたようで、エントリ中には一応以下のような記述がある:

The monetary and fiscal policies I am criticizing go back to before the start of the Obama administration, as I showed in this article on fiscal policy recently published in the Journal of Economic Literature and in this piece on monetary policy published in November 2008 by the Bank of Canada. So I view this criticism as being non-partisan, as has been my historical review of the swings between rules and discretion.
(拙訳)
私が批判している金融財政政策は、最近Journal of Economic Literatureに掲載された財政政策に関するこの論文カナダ銀行が2008年11月に出した金融政策に関するこの記事で示したように、オバマ政権発足以前に遡る。従って私の批判は、ルールと裁量の間を揺れ動いた歴史を概観したこの私の記事と同様、党派的なものではないと考えている。

*1:ESRI国際コンファレンス:「“失われた10年”における日本経済の変貌と回復」で提示されたもの。

*2:それ以外には、米国は戦後は自由経済主義を推進したのに今では介入主義へと移行してしまった、というテイラーの見解を、あまりにも単純化されたもの、と批判している。

*3:そのエントリでは「HT Benjamin Cole」となっている。