下記の本で、著者の Alexander J. Fieldがそう主張しているという。
- 作者: Alexander J. Field Ph.D.
- 出版社/メーカー: Yale University Press
- 発売日: 2012/04/26
- メディア: ハードカバー
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Economixでは、そのFieldに対するインタビューが掲載されている(Mostly Economics経由)。概要は以下の通り。
- 1941年の米国経済の産出量は1929年に比べ40%増大したが、その間、労働および民間資本の投入はほとんど増加していなかった。即ち、産出の増大はほぼすべて技術上および組織上の進歩によるものだった。2003年のFieldのAmerican Economic Review論文のタイトルにあるように、1930年代は20世紀で最も技術が発展した10年間だったのだ。
- 通説では、戦争が大恐慌の惨状を一変させて、1948年以降に米国が世界で一頭地を抜く要因となった、とされている。それに対するFieldの反論は、1929年から1941年にかけての潜在生産力の飛躍的な発展が、戦争の勝利に貢献すると同時に、戦後の発展の基礎を築いた、というものである。
- 1929年から1941年の間の中でも、ルーズベルトの当選後に非常に力強い景気回復が見られた。その回復は、1937年の景気後退で中断されたのみである。1933年から1941年に掛けて実質GDPは90%増とほぼ倍増した。
- 重要なのは、その間に起きたことが、単にGDPギャップを閉じるといったものでは無かったことである。研究開発投資の大幅な増額、新製品や新工程の出現、道路の発達の波及効果、逆境への創造的な反応といった要因の組み合わせにより潜在生産力が増大していったので、動く標的を追い掛ける形になった。そのことが、1941年においてもまだ失業率が10%近かったことの一つの説明になっている。
- 1930年代の技術革新の特徴は、その時代を代表するような進歩があったというよりは、非常に幅広い分野での進歩があったということ。その中でも顕著な新製品の例を挙げると:
- DC-3:1936年に導入され、商業航空を一新した。
- テレビ:1930年代にベンチャーキャピタルの出資によって開発され、1939-40年の世界博で出品された。
- ナイロンストッキング:1940年5月に登場し、初年度だけで6300万足販売された。
- 1920年代に開発されていた商品も、利用者が限られていたブティック商品から、大量生産の商品へと変貌した。冷蔵庫が代表例。1929年に冷蔵庫を保有していたのは米国の家庭の3%以下に過ぎなかったが、1941年にはその比率は44%となり、都市部では56%に達した。
- 自動車も1930年代に大きく改良された。暖房、ラジオ、低圧バルーンタイヤ、4輪水圧式ブレーキが標準装備されるようになった。また、今日では我々が標準と見做しているオプションもこの時期に開発された。即ち、パワーステアリング、オートマティック・トランスミッション、前輪駆動、V8エンジンである。また、製品における技術革新のほかに、工程面でも顕著な技術革新が各業種で見られた。
- さらに、1920年代と違い、発展は製造業に限られなかった。1930年代のハイウェーの計画は、1990年代の情報「スーパーハイウェー」に負けず劣らず技術者たちを興奮させた。米国の幹線道路システムはほとんどが大恐慌の期間中に建設されたのだが、それはそれ以前に比べて大幅な改善となり、輸送と流通に大きな恩恵をもたらした。
- 組織上の変革も重要だった。鉄道では、協定により、貨物の流通に対する制約が無くなった。貨車が別会社の路線に乗り入れ、そこで貨物の積み下ろしや修理をすることが可能になったのだ。その協定と、統一された関税表のお蔭で、1941年の米国の鉄道は、1929年より大幅に少ない人員、貨車、機関車によって、より大量の貨物と同等の乗客を輸送することが可能になった。
- 失業した人間に、君の犠牲のお蔭でより良い明日が迎えられるのだよ、と慰めの言葉を掛けるのは思いやりに欠けるというものだろう。しかしながら、個人におけるのと同様に、組織や産業において、逆境が動機付けと創造性を生み出し、長期的に好ましい結果をもたらす、という証拠は確かに存在する。そして、大恐慌の経験に照らすならば、刺激的な新技術が実りをもたらす際には、その収穫が好不況に関わらず行われることに関して楽観的であって良いように思われる。