スティグリッツの構造改革論・続き

昨日紹介したスティグリッツの恐慌論への反応のうち、Roweの批判とそれに対するデロングの擁護論は、専ら理論面に焦点を当てていた。


一方、ライアン・アベントは、そもそも実際のデータがスティグリッツの議論と整合的でないことを指摘した。その後、サムナーも昨日のエントリで、実証面でスティグリッツの議論がすべて――どれか一つではなくすべての段階で――恐ろしく説得力に欠ける、と批判した。


アベントの指摘は概略以下の通り。

  • 2008年も1929年も最初の12ヶ月の経済の悪化は似たようなものだった。しかし、当時は中央銀行が引き締め策を取ったのに対し、今回は蛇口を開けた。その結果、1930年代当時は鉱工業生産が40%近く低下し、失業率が25%を超えたのに対し、今回はそれぞれ13%の低下と10%強であった。そのことからすると、金融政策が無効だったという結論ではなく、それは重要であり、更なる緩和策がもっと今回の不況の影響を和らげた、という結論の方が論理的ではないか。
  • 他の先進国は米国より先に特に大きな副作用も無く脱農業を済ませていた。例えば1930年に英国の農業が雇用に占める比率は6%に過ぎなかった。それにも関わらず、英国も他国と同様に大恐慌に沈み、金本位制を脱してポンドを減価した1931年まで回復が始まることは無かった。
  • 農産物価格が下落を始めたのは第一次世界大戦直後からであり、1919年から1924年に掛けて小麦価格は半減した。それは、戦争によって混乱した生産が復旧したためである。しかし、1929年まで米国経済が大きなトラブルに見舞われることは無かった。また、1920年代には農業の生産性の上昇は鈍化していた。
  • 確かに3年間の成長では1941-1943年が記録の残っている1929年以降では最も高かったが、1934-1936年がそれに次いでいる。1936年の成長率は13.1%に達した。実質民間投資の年間成長率を高い順に並べると、1946、1935、1934となる。1940年代の高成長を説明すると謳う理論ならば、1933年に始まる高成長も説明できなくてはなるまい。金融面での説明はそれが可能だが、スティグリッツの議論では可能では無い。
  • 戦後についても同様。製造業の雇用比率のピークは1940年代であり、1960年から1990年に掛けてほぼ半減した。もしそれが米国の問題の原因と言うならば、なぜ20年前にこの大不況が起きなかったのか?


サムナーの批判も概ね同様だが、彼は、農業そのものの問題よりはその波及効果が問題になる、という想定される反論について、そうした反論は正当化の範囲が広すぎて実証的に意味が乏しい、と予め釘を差している。


このサムナーのエントリにデロングが反応しスティグリッツが言っているのは、主要産業の雇用者数が絶対値ベースで激減し、そうした構造変化で自然利子率が低下したために金融ショックに対し脆弱になった経済は、容易にゼロ名目金利下限に達してしまう、そうなると金融政策での回復は難しくなるということではないか、と話をまとめている。


また、Roweのエントリでも、あるコメンターがそのデロングのまとめと同様のことを述べた上で、ヴァニティ・フェア記事で判断するのではなく、きちんとスティグリッツ論文を嫁、と書いている。


そのほか、お笑いコンビとしてEconospeakで御馴染みのサンドウィッチマン(orサンドイッチマン)が、今回はあちこちでスティグリッツ擁護と取れるコメントを残しているが、それは、労働塊の誤謬は短期では誤謬ではない、という彼の持説――それは昨日のエントリの追記で触れた小生の疑問にも通ずるような気もするが――に基づくもののようである。その辺りについては、「共和党嫌いの日記」という些か奇妙なタイトルのブログのこのエントリに詳しい(同ブログでは、他にここここここここここで今回のスティグリッツ記事に纏わる動きを取り上げている)。