自然利子率は低下していない?

少し前に、クルーグマンのマイナス均衡実質金利論への日本の経済学者の反論を紹介したことがあったが、最近米国の経済学者からも同様の反応があった。具体的には、Stephen Williamsonがブログエントリ邦訳)で、自然利子率が負のショックによって低下したとは信じられない、と述べた*1。エントリのコメント欄でWilliamsonは、そもそも自然利子率など持ち出すのが間違っている、という趣旨のことまで書いている:

All this natural rate talk is confusing things. Think of the natural rate as the real interest rate if policy is optimal, within the class of feasible policies. The way I'm thinking about it, the natural rate hasn't changed, and we're below it.
(拙訳)
自然利子率に纏わるこうした議論すべては話を混乱させている。実行可能な政策の中で最適な政策を採った場合の実質金利として自然利子率を考えてみよう。私の考えるところでは、自然利子率は変化していないし、現在の実質金利はそれを下回っている*2


面白いことに、ほぼ同時にサムナーも同様のことを述べている

I certainly understand the Wicksellian equilibrium rate argument, but I think it causes more to confuse than enlighten (partly for “never reason from a price change” reasons.) In my view the key problem is that expected NGDP growth is too low. If that were boosted via fiscal stimulus then interest rates would rise. If boosted via monetary stimulus then rates might either fall or rise. If it was a large and persistent monetary stimulus then long term rates would probably rise.
(拙訳)
ヴィクセルの均衡金利論は私も良く分かっているが、その議論は話を分かりやすくするというよりはむしろ混乱させると思う(その理由の一つは「価格変化から推論するべからず」である*3)。私の考えでは、問題は名目GDPの期待成長率が低過ぎることにある。それが財政刺激策を通じて押し上げられれば、金利は上がるだろう。それが金融刺激策を通じて押し上げられれば、金利は下がるかもしれないし上がるかもしれない。金融刺激策が大規模で継続的ならば、長期金利は多分上がるだろう。

自然利子率による議論の代わりにWilliamsonが打ち出しているのが、安全資産の不足による資産価格の上昇、およびその結果としての低金利である。ここでWilliamsonは、利払いが一定の場合に資産価格が上昇すれば、前者を後者で割った利回りは低下する、と考えているようである。しかし、資産価格の上昇分までも利回りに含めれば、必ずしもそうとは言えないように思われる。その場合、安全資産の保有に関する流動性プレミアムが表面金利に上乗せされていることになり、結局、(本ブログでも過去に何度となく紹介している)ケインズの一般理論第17章の議論に帰着するようにも思われる。つまり、流動性プレミアムを考慮した安全資産(含む貨幣)の自己利子率が高止まりし、他の商品の自己利子率を上回るため、安全資産に需要が集中するという不均衡が継続する、という話である。一般の財の利子率を自然利子率とするならば、
  自然利子率 < 安全資産の表面金利 + 安全資産の流動性プレミアム
という状況なわけだ。ここで右辺第二項を左辺に移項し、
  自然利子率 − 安全資産の流動性プレミアム < 安全資産の表面金利
とした場合、安全資産の流動性プレミアム上昇は自然利子率の低下と数学的には等価、ということになる。つまり、Williamsonが打ち出した安全資産の不足という議論は、実は彼の攻撃する自然利子率の低下という議論と表裏一体、という見方もできるように思われる。



ちなみに、冒頭でリンクした2/7エントリへの補足になるが、先日増補版が出版された若田部昌澄氏の「経済学者たちの闘い」を再読したところ、クルーグマンのマイナス均衡実質金利論について以下のように書かれていることに改めて気がついた:

そこ[クルーグマンの“It's Baaack論文”]ではマイナスの均衡実質金利が必要不可欠の前提として想定されていたため、齊藤誠、吉川洋、小林慶一郎氏らの反発を招いた。しかし、この論文の想定は、リフレ政策という彼の戦略に照らしてみると、むしろ相手の土俵に乗った議論のための便法に近い。クルーグマンは、少子化、高齢化や技術革新の停滞といった、構造改革至上主義者が想定しているような日本経済の供給面の問題をもっとも極端な形で仮定したとしても、金融緩和政策は有効なことを示しているからだ。つまり、この論文でのリフレ政策にとっては確かにマイナスの均衡実質金利は必要不可欠の想定なのだが、リフレ政策一般にとって必要なのは実質金利が均衡実質金利よりも高止まることであって、マイナスの均衡実質金利ではないのである。

ここで若田部氏の言う「相手の土俵に乗った議論のための便法」が、10年以上経った今になってクルーグマンの本国でまた議論の争点になっている、というのも皮肉と言えば皮肉な現象である。

*1:このエントリは、クルーグマンの4/11エントリに端を発した論争(AndolfattoによるWilliamsonの持説を援用したクルーグマン批判タイラー・コーエンのAndolfattoへの賛同、およびそれに対するクルーグマンデロングの反論)を受けたものである。コーエンはこのWilliamsonエントリを参照しつつさらにクルーグマン・デロングへの再反論エントリを起こしている。[追記]Andolfattoもデロングに反応するという形で改めてWilliamsonへの支持を表明したエントリを書いている

*2:ノアピニオン氏のコメントに応えた別のコメントでWilliamsonは、危機前の平均的な実質金利が凡その最適金利であると仮定するならば、現在はそれを下回っている、と指摘している(ただ、きちんとした定量理論抜きでは本当の最適金利は分からない、という点も注釈として付け加えている)。

*3:たとえばここで紹介したように、金利は金融政策の指標として当てにならない、というのはフリードマンがつとに述べていたことであり、サムナーもそれを持説としている。