中央銀行の独立性に関する3つの教訓

Mostly Economicsで、Michael Bordoというラトガース大学教授が書いた小論が紹介されている。そこでBordoは、1694年から1914年のイングランド銀行、および、1914年から2009年のFRBの歴史を俯瞰した上で、中央銀行の独立性に関する以下の3つの考察を引き出している。

  1. 中央銀行の独立性は金融危機に対処する上で役立つ。かつての金本位制の西欧でそのことが実証された。その時代のイングランド銀行ならびに西欧各国の公認された発券銀行は、名目貨幣についての信頼できる錨の役割、および、金融システムにおける最後の貸し手の役割を効果的に果たした。その金融制度はルールに基づいていた。
     
  2. 戦間期FRBの経験に鑑みると、中央銀行の独立性は、間違った政策原理や構造的に欠陥を抱えた制度に基づいて運営された場合、有害なものとなる。
     
  3. 深刻な金融危機中央銀行の独立性を弱める可能性がある。1797年の危機の際のイングランド銀行もそうだったが、今回の危機におけるFRBもその事例に当てはまるだろう。FRBが今回の危機で失った独立性を取り戻すにはかなりの努力を要する。FRBが今回、財務省証券のみ取り扱う方針(“Treasuries Only” policy)を放棄し、長期債やMBSを購入したり、信用緩和を実施したり、銀行でない金融機関を救済したりする必要があったかどうかは議論の余地がある。
    たとえばFRBが、2007年8月から2008年末まで拡張的な金融政策を取る半面、金融機関の救済や選択的な信用供与にはタッチせず財務省任せにしていたら、現状よりも独立性は維持できたのではないか。確かに、その場合でも金利は2008年内にゼロ下限に達し、量的緩和策を採る必要に迫られて少なくとも長期国債は購入していただろう。従って財政政策とはまったく無縁というわけにはいかなかっただろうが、それでも今ほど深入りはしていなかったはず。

このように第3項でBordoは、バーナンキの採った政策に批判的なスタンスを示している*1


一方、第2項に関連して、以下のような記述が見られる。

In the 1920s the Fed carried out an independent monetary policy based on the Burgess Rieffler doctrine — a variant of the real bills doctrine—(Meltzer 2003) in what Friedman and Schwartz ( 1963) termed “ The High Tide of the Federal Reserve”. But then its flawed real bills perception of the stock market boom (as a harbinger of inflation) led it to tighten policy to kill the boom triggering a recession in August 1929 and the Wall Street crash in October.
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In reaction to the Great Contraction the Fed was reorganized in the Bank Acts of 1933 and 1935. In theory the 1935 Act solidified the Fed’s independence by removing the Secretary of the Treasury and the Comptroller of the Currency from the Federal Reserve Board and centralizing control in the new Board of Governors. However as Meltzer ( 2003) points out, although the Fed in theory had the trappings of a powerful central bank(“Independent within the government”) in practice it was subservient to Treasury gold policy and a low interest rate peg from the mid 1930s to 1951. The one episode when the Fed used its policy independence was in 1936-37, when it doubled reserve requirements in a mistaken attempt to mop us excess reserves in the commercial banking system. This action led to a serious recession in 1937-38.
(拙訳)
1920年代、FRBはバージェス=リーフラー・ドクトリン――真正手形学説の一種――(Meltzer 2003)に基づいた独立した金融政策を実施した。Friedman and Schwartz (1963)は、これを「FRBの絶頂期」と名付けた。しかし、欠陥品の真正手形学説によって株式市場の上昇を(インフレの前兆と)誤って解釈し、金融引き締め策によってその株価上昇を押さえ込もうとした結果、1929年8月の景気後退、および同年10月のウォール街の大暴落をもたらした。
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大収縮への対応として、FRBは1933年と1935年の銀行法で再編された。1935年の銀行法は、財務長官と通貨監督官を理事会から外して新たな理事会に権限を集中させたことにより、理論上はFRBの独立性を強化したことになっていた。しかし、Meltzer (2003)が指摘するように、強力な中央銀行(政府の中での独立機関)としての理論上の外観は整えられたものの、実際には1930年代半ばから1951年に至るまで財務省の金政策と低金利政策に従属していた。FRBが独立性を発揮した一つの事例は1936-37年のことだったが、その時FRBは、商業銀行システムにおける超過準備を一掃しようとする誤った試みのために、所要準備額を倍増した。この行動は、1937-38年の深刻な不況を招いた。

Mostly EconomicsのAmol Agrawalは、この部分を引用して、「FRBが独立性を発揮しようとした度に、経済が急降下した(whenever Fed exercised independence, the economy plunged)」と皮肉っている。

*1:Mostly EconomicsのAmol Agrawalは、これについて「Hmmm」という間投詞を投げて、暗にBordoに同意しかねるという姿勢を見せている。