マンキュー「経済学の抜本的改革は不要」

4/8エントリの脚注で触れたが、マンキューがNYTに掲載された経済学に関する論説に向かっ腹を立てていたので、その3/26ブログエントリを訳してみる。

今日のNYタイムズで、デビッド・ブルックスが経済学について興味深いコラムを書いていた。


このコラムは一読の価値があるが、しかしながら、正しい点よりも間違った点の方が多いように思われる。ジャーナリストたちは、最近の出来事によって経済学理論を根底から見直す必要が生じた、といった記事を書くことが好きだ。何と言っても、水平線上の新しい出来事を明らかにするのが彼らの仕事なのだ。しかし、彼らが現在の出来事から学界の理論的研究の動向を予測しようとすると、大抵間違える。特に、我々が経済学課程で教えることは、デビッドの読者が思うであろうよりも頑健かと思われる。


デビッドは、「経済学者と金融業者は、市場の動向を予測するより洗練されたモデルを構築することに何十年も費やしてきた」と書いている。金融業者についてはいざ知らず、学界の経済学者で予測に時間を費やしているものは極めて少ない。テレビに出演している経済学者はしばしば将来を予測しようと試みているが、彼らは一流の経済学者のサンプルとは言い難い。実際、私がテレビに出演するのが好きでない理由の一つは、番組の司会がしょっちゅう、経済学博士なら将来を他の人々より良く見通せるだろう、という前提に基づいた質問を投げ掛けてくるからだ。本当の経済学博士は、我々の教育は予測とはほとんど無関係であることを知っている。


奇妙なことにデビッドは、ラインハートとロゴフの金融危機に関する新しい本を、歴史に関する本として紹介している。彼は著者の二人が、著名かつ主流派の中心に位置する経済学者であることに触れていない。しかも、彼らの研究プロジェクトは、今回の危機のずっと前に開始されたものだ。経済学者が金融危機を研究していないと言うのは誤りである。彼らの本は、この分野のトップクラスの研究者が、このテーマが一般の注目を集める前からまさに取り組んでいたことを示している。行動経済学や行動ファイナンスの分野でも、もう何年も前から活発に研究活動がなされている。


確かに、学部の経済学課程では、今後幾つかのテーマについてカバー範囲を広げる必要があるだろう。そのことは少し前の私のコラム*1で書いた。金融機関でのレバレッジの役割がその一つの例だ。金融機関やその規制について研究する人々が今は経済学の前線に立っており、そうした研究が学部カリキュラムでもっと教えられることになるだろう。


しかし、経済学という分野で抜本的な変革があるとは思わない。古い教科書が捨てられる必要は無い。ただし、この点について、自分が極めて客観的な判定ができないであろうことは認める。

*1:[追記]optical_frogさんの訳はこちら