経済学者から経済学の議論をもぎ取る

というのが昨日のエントリで紹介したアベント記事で引用されたジャスティン・フォックスのブログエントリのタイトル(原題は「Wresting the Economic Debate Away from the Economists」)であるが、そちらも面白いので、以下に訳してみる*1

デビッド・ブルックスは、先週のNYTのコラムで、経済学者はもっと歴史学者のようになるべきかも、と書いた*2。その少し前に、どうしたらもっと経済学者のようになれるだろうと考えている歴史学者の一団(とその他の人文学科の教授数人)とひと時を過ごした私にとって、これは興味深いコラムであった。


それは、オックスフォードのサイード・ビジネス・スクールでの「評判、感情、市場」をテーマとしたコンファレンスの席上のことだった。私はそこでファイナンス理論の歴史に関する自著について話すつもりだったのだが、いつの間にか、30人程度の歴史学者(他の人文学科の学者もちらほらいたが)の出席者を相手に、なぜ経済学者が過去半世紀の間にこれほどの影響力を獲得した一方で、歴史学者は影響力を失ったのか、という点について長時間の議論を交わしていた。


私が提示した回答の一つは、経済学者が自分の研究の核心部分を外界にまったく理解できないようにする――従って近寄りがたい強い印象を与える――半面、比較的まともな結論を提供し続ける、という巧みなバランス工作に成功したためではないか、というものだった。アカデミックな経済学論文の基本的な形式は、最初に理解可能な数段落があって、最後に理解可能な数段落があって、その間に非常にとっつきにくい数学や統計分析の塊がある。一方、アカデミックな歴史学論文は、何となく意味の見当が付く専門用語が延々と続き、素人の読者に強い印象を残すこともなければ、明確な結論も示さない、というパターンが多い。


聴衆のある経済学者は、別の回答を提示した。多くの経済学の研究は予測を目的としており*3、世界は常に予測に飢えている。彼はまた、大抵のマクロ経済学の予測は無意味であると付け加え(彼はミクロ経済学者だった)、しかしそのこともそうした需要を削ぐには至らない、と述べた。


コンファレンス終了後の晩餐で、歴史家自身が別の見方を披露した。特に米国では、アカデミックな歴史学者のごく一部しか経済政策(もしくは外交、戦争、大局的な政治)を扱わない、というものだ。この分野の関心は、専らアイデンティティ(性別、人種、等々)と文化に移っており、かつての領土を経済学者と政治学者に譲った、というわけだ。もちろん、ニーアル・ファーガソンがいるじゃないか、という話もあるだろう。しかし、彼はむしろ法則を証明する例外と言うべきだろう。そして、言うまでも無く、アカデミックな歴史学者からは、彼は芸脳人芸能人であって自分たちの本当の仲間ではない、と見做されている。


そうしてみると、今後進むべき方向の例としてブルックスが引用した経済学史の研究「This Time Is Different: Eight Centuries of Financial Folly」が、2人の高名な経済学者の手になるものであり、歴史学者によるものではなかった、という点は示唆的である。また、オックスフォードのコンファレンスにおいて、追い詰められたという印象が最も乏しかった歴史学者ビジネススクールの教授だった、という点も特筆しておくべきだろう(この場合はオックスフォードのサイード・スクールだったが、ハーバード・ビジネス・スクールは歴史学者にとってのもう一つの避難所的な経営大学院である)。


こうしたことがどうして重要なのか? なぜならば、学者が世界を解釈する方法は、(タイムラグと多くのロスト・イン・トランスレーションを伴って)それ以外の我々の物事に対する見方に大きな影響を与えるからだ。過去半世紀、経済学者は、経済的なことに関する考え方を完全に支配してきた。さらに、他の多くの分野にも進出してきた。ビジネス教育やビジネスの助言は、間違いなく、経済学的指向を強めてきた。もちろん、それは悪いことではない。でも、思想の市場でも競争があった方が良い、ということには経済学者も同意するのではないだろうか。違うかな?

*1:フォックスは今年の1月末にタイム誌からハーバード大移籍している。ただしもちろん(!?)教授ではなく、ハーバード・ビジネス・レビューの論説員とのこと

*2:ちなみにマンキューはこのコラムがあまりお気に召さなかったようである

*3:これはまさに前述のマンキューがカチンと来た見方であるが…。