我が生徒であり我が師であったS. Rao Aiyagari

金融論関係の研究論文で良く言及される名前の一つに、Aiyagariがある。しかし、当人は14年も前に45歳の若さで早世している。彼が十年間在籍したミネアポリス連銀では、季刊誌Quarterly Reviewの1997年夏号を彼の追悼に当てている


以下はその号でのニール・ウォレスの追悼エッセイ「S. Rao Aiyagari: My Student and My Teacher」の拙訳(謝辞等は省略)。

(要旨)

このエッセイでは、1997年5月20日に心臓発作で亡くなった経済学者S. Rao Aiyagariの学者としての人生と業績を簡単に振り返る。Aiyagariは「同世代の最高の経済学者の一人」と評される。このエッセイにはAiyagariの出版された論文の全リストを付けると共に、ミネアポリス連銀のQuarterly Reviewに掲載された論文のうち次の3つの論文を再掲する:“Deflating the Case for Zero Inflation” (Summer 1990), “On the Contribution of Technology Shocks to Business Cycles” (Winter 1994), and “Macroeconomics With Frictions” (Summer 1994).

(本文)

1976年、S. Rao Aiyagariがミネソタ大学の大学院経済学科に出願したとき、私は入学許可の責任者だった。私は彼の出願書を見て、既に物理学の論文「スピンのある媒質を記述するアインシュタイン=マイヤー理論とアインシュタインカルタン理論の同値性について」を出版していたことに感銘したことを覚えている。ミネソタ大はRaoを大学院経済学科に受け入れ、彼は我々を失望させなかった。彼はその教科課程のスターの一人だった。私はRaoの指導教官だったが、彼は独力で研究を進め、私は、彼が私から学ぶよりも多くを私が彼から学べるだろう、と思ったことを覚えている。彼が学位論文を仕上げて同僚兼友人となった後の残りの生涯を通じ、私のその思いは変わらなかった。
Raoが最初に出版した経済学の論文は、学位論文を発展させたもので、「一部門成長モデルにおける世代重複と割引動的計画法の枠組みの観測上の同値性」(Aiyagari 1985)と題されていた。その論文と彼の物理学の論文のタイトルの類似性は、Raoが物理学で用いた科学的手法を経済学に応用していたことを示している。それはまさに彼のやり方であり、彼はそのやり方をキャリアを通じて用いた。
Raoが大学院修了後に最初に得た職は、マディソンのウィスコンシン大学の経済学部だった。そこに5年勤めた後、1986年に彼はミネアポリス連銀の調査部に転職した。彼はそこに約1年前まで留まった。
Raoが最初に取り組んだ体系的な経済学研究は、ウィスコンシン時代に始まりミネアポリス連銀時代の最初の数年で完了したのだが、世代重複モデルと無限の寿命を持つ人々のモデルとの関係という彼の最初の経済学論文のトピックにおける処理方法をもっと一般化することだった。彼が解決に取り組んだ課題の一つは、2つのモデルが収斂するのは、各世代の寿命と重複期間が長くなった時なのか、それとも世代間が親子間の利他主義によって結び付いた時なのか、というものだった。Raoのこの分野における基礎的な理論研究は、経済学に対する最も重要な遺産と言えるだろう(Aiyagari 1987, 1988, 1989, 1992a, and 1992b、および、Aiyagari and Peled 1991を参照)。
1990年頃に、Raoは応用研究に目を向けた。彼は株式の平均実質利回りが米国債をどれだけ上回るか(株式プレミアムパズル)、といった未解決の定量的な問題を解決したいと考えていた。彼はまた、重要な政策上の問題について最も説得力のある分析を提示したいと考えていた(Aiyagari 1994a, 1994b, and 1995; Aiyagari and Gertler 1991、および、Aiyagari and Peled 1995を参照)。この号に再掲された3つのQuarterly Reviewの論文は、そうした彼の研究の変化を反映している。最初の再掲論文「ゼロインフレの論拠をデフレートする」(p.5)は他者の研究に主に基づいているが、今日もなお論争の的となっている重要な政策上の問題の分析にRaoがどのように取り組んだかが示されている。論文では、通常のそうした分析におけるよりも遥かに広い範囲の視野から問題を捉えており、一般的とはとても言い難い結論に達している。二番目の再掲論文「技術的ショックの景気循環への寄与度について」(p.15)は理論に対するRaoの非常に独創的な実証手法を示している。この論文は、平均実質賃金と総労働生産性の循環パターンを同時に説明することが期待されるモデルに関して、新規かつ重要な指摘を行っている。三番目の再掲論文「摩擦の存在するマクロ経済学」(p.28)は、この追悼号において特別な役割を果たしている。数多くの研究の巧みな紹介になっているだけではなく、自身および経済学者が将来集中すべき研究課題がどこにあるとRaoが考えていたかを強く暗示するものとなっている。
1990年ごろ、私は、Raoが応用研究志向に転じたにも関わらず、1989年の清滝信宏とランドール・ライトの研究に関係する貨幣モデルを発展させるという私の研究に参加するように彼を説き伏せた。そうしたモデルは現在の政策上の問題に直ちに適用できるものではない。爾来、我々の共同研究、およびそこから発展した研究は、私の主要な研究テーマとなっている。Raoは優れた理論家であり、彼と共同研究を行う過程において、私は多くを学んだ。我々が議論したアイディアには、その時点では追究することができないものもあったが、私はその探究を継続した。しかし数年後、Raoは、我々が研究しているモデルはあまり実り多いものではないと結論付け、その研究を放棄してしまった。共通の友人が、彼のそうした思いを私に伝えるのが彼にとって極めて困難なものだったことを教えてくれた。私自身は、彼との共同研究でいかに私が多くを得たかを彼に伝えなかったことを悔やんでいる。(Aiyagari and Wallace 1991, 1992, and 1997、および、Aiyagari, Wallace, and Wright 1996を参照)
Raoを良く知る者の多くは私と同様、彼を同世代の最も有能な経済学者の一人と捉えていた。1990年代初め、我々は、彼が然るべき評価を得ていないと考えていた。幸いなことに、3年ほど前から状況が変わり始めた。Raoは、国内外の主要な経済学部や研究機関のセミナーやコンファレンスに研究成果の発表のため招かれることが多くなった(Raoは旅行好きで、旅行は彼が話すのを好んだ数少ない世間話の話題の一つだった。彼がニューヨーク市イスラエル、イタリア、ロシア、トルコから戻った後の興奮ぶりを今でも覚えている)。この時期、彼はミネアポリス連銀主催の経済学研究コンファレンスの主たるオーガナイザーを務めるようにもなっていた。ロバート・E・ルーカス・ジュニアが極めて影響力の大きい論文を提出した日から数えて25年目の記念コンファレンスを1995年に開催した時には、彼はオーガナイザーおよび予測者として最大の成功を収めることになった(論文は1970年に提出されて1972年に掲載された)。コンファレンスからわずか数ヵ月後に、その論文を中心とする業績によってルーカスはノーベル賞を受賞したのである。
しかしながら、Raoが求めていた評価は、やはり主要大学の経済学部からの地位の提供であった。それは、マクロ経済学で国内有数の強みを持つニューヨークのロチェスター大学経済学部の正教授への招請という形で昨年実現した。Raoが1995年秋をロチェスターの経済学部で過ごした後にその招請が来たのである。来るや否や、彼はすぐにそれを受諾した。Raoはその指名に大喜びしたことを隠そうとはしなかった。彼は、それが自分のキャリアの頂点だ、とまで言った。それは確かに、遅まきながら彼の能力と業績への正当な評価を表わすものであった。彼の家族と友人と同僚は、短期に終わった彼のロチェスターでのテニュアが彼に大いなる喜びをもたらしたということに慰めを見い出すだろうが、彼の同僚は、そこでキャリアの頂点に達したという彼の意見には賛同できまい。我々の見解では、そしてそれはこの号の読者にも同意して貰えると思うのだが、Raoはアイディアおよび実り多きキャリアの追求に必要なエネルギーと技術に満ち溢れていた。我々はこれから常に、彼はあの後どれだけの業績を達成できたことだろう、と思うことだろう。

(参考文献)

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