経済学は如何に回復を処方したか

新年あけましておめでとうございます。


昨年は一昨年に続き経済関係では暗いニュースが多く、経済学の限界を嘆く声も数多くあったが、そんな中、経済学も捨てたものじゃないんだよ、経済学のお蔭で第二の大恐慌が避けられたのだよ、という論説が年末12/27にFTに掲載されたEconomist's View経由)。書いたのはピーターソン国際経済研究所のアルヴィンド・スブラマニアン(Arvind Subramanian)。


以下にその概略をまとめてみる。

  • 2008年、世界的金融危機が進むにつれ、経済学の評判、ならびに経済学者の政策実務者としての評判は地に落ちた。どうして誰もこの事態を予測できなかったのか、というエリザベス女王の質問は、この気分を良く表している。幾人かは事態の悪化を正確に予測したにせよ、経済学者という職業が全体として途轍もないヘマを仕出かしたことには疑いの余地が無い。中でも、市場への信仰を批判の対象外にまで高めたグリーンスパンバーナンキの罪は重い。
  • しかし、危機は常に起きるものであり、その到来時期、形態、発生原因は常に予測外である。ケインズはかつて「避けられないことは決して起きない。予期しないことが常に起きるのだ。(The inevitable never happens. It is the unexpected always.)」と述べた。
  • もし危機を予防する点についての経済学の価値が(望むらくはゼロではないにしても)限られたものだとしたら、危機への対応という点で経済学の価値を測るべきだし、その方が現実的だろう。その点では、1年が経過した今、経済学はその価値を証明したと言えるのではないか。
  • 1920年代終わりの米国の景気後退が大恐慌に発展した経過を振り返ってみよう。それには3つの要因が関与していた。過度の金融引き締め策、過度に慎重な財政政策、通貨切り下げ競争や貿易障壁引き上げを初めとする近隣窮乏化策、である。それに対し、今回の世界金融危機に際しては、こうした過去の過ちを避ける努力が払われた。
  • そうした努力は、経済学の影響が世界に及んでいたことを良く表している。新興国発展途上国、先進国のいずれにおいても――あるいは、資本主義国、共産主義中国、統制主義の残存するインドのいずれにおいても――財政金融分野で同様の政策で対応した半面、通貨切り下げ競争や保護主義という対応は(局所的な例外はあったにせよ)採られなかった。もし大いなるコンセンサス(Great Consensus)なるものがあるとしたら、これがまさにそれである。
  • 大恐慌が80年前に起きていなかったとしたら、2009年は違った展開を見せていただろう。ただ、大恐慌という「自然実験」の存在は必要条件に過ぎない。経済学がそこから正しい教訓を引き出していたお蔭で、我々は失敗を繰り返さずに済んだのだ。
  • とは言え、すべての教訓を学んでいたとは言えないし、間違った教訓を学んでいた可能性もある。あるいは、たとえば金融というもの未だ飼い慣らすことができていないため、将来の危機の種を撒いている可能性すらある。ということで、経済学はいずれまた失敗を犯すだろう。
  • しかし、2009年に起きる可能性が十分にあった大恐慌を回避したことは、経済学の世界への恩恵と言って良いのではないか。少なくともそれは、2008年に危機を発生させてしまったことに対する経済学のつぐない(atonement)と言えるだろう。